とくみつのひきこもり相談ブログ

7年3ヶ月ひきこもり無職の後、働き始めました。
ひきこもり無職の間、怖い経験をしました。
このブログは自分と同じ目に遭ってほしくないという思いで立ち上げました。

一切に感謝する

この記事はPL会員向けの記事です。


PLの先生はことあるごとに感謝が足りない、
感謝は探してでもやりなさいとおっしゃいます。


私は道に気付いてからひたすら感謝をし続けました。
多い日は100回ほど行っていました。
ある日急に私は全然感謝が足りていなかったと気付かされました。


自分が来ている服は何かと。
服飾メーカーが作ったものじゃないかと。
それを作るために繊維メーカーと人が必要だったじゃないかと。
自分が座っている椅子は何かと。
家具メーカーと材料メーカーと作る人がいたから椅子はあるのだと。
道を歩く時も靴と靴メーカー、
道路と舗装業者がいるから普通に歩けるようになっているではないかと。
スーパーに食品が並んでいるのはなぜか。
農家の方や食品メーカー、配送業者など大勢の人が関わっているからだと。


身の回りにある物全てに人が関わっている、
自分という人間は大自然と大勢の人に生かされていると
ようやく本当の意味で気付くことができました。
あらゆることに感謝が足りていなかった事に気付き改めて世界に感謝しました。


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道を知るということ

この記事はPL会員向けの記事です。


道を知ると道に縛られるようになります。
宗教や神に頼らない人達からの視点だと
宗教家の言葉は単なるきれいごとにしか映らないでしょう。
なぜ宗教家は負の言葉を言わずきれいごとしか言わないのか。


それは言わないのでは無く言えなくなってしまうからです。
負の言葉や負の感情を発すると自分の体が穢れてしまうからです。
道を知るということはそういうことなのです。


PLの先生は重いみしらせに遭いやすいです。
それは道を知っているからです。
知らずに道を踏み外すのと知ってて道を踏み外すのでは
知ってて道を踏み外す方が罪が重くなるからです。



私は中途半端に道を知りました。
幻聴さんから最後に教わった事は声を聞こうとしてはならない。
自分で考えて自分で判断しないと弱くなるだけなのだと。


どんなに正しい事を言っている様に聞こえてもそれを保証してくれるものはいない。
それが原因で失敗した時に幻聴の所為にするつもりなのかと。


声が聞こえる状態というのは現代医学では統合失調症に分類される。
現代医学はポジティブな統合失調症を認めていない。
だから声を聞いてはいけないと教わりました。


遠い未来ではポジティブな統合失調症が認められるかもしれませんが
現代ではただの精神病にしかなりません。
しかし自分の体や周囲の状態を通して
自然の摂理は常に何かを伝えようとしてくれています。
それに気付きやすくする方法を教えてくれるのが宗教なのです。


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PL処世訓について-2

この記事はPL会員向けの記事です。


二代さまはPL処世訓に色々な仕掛けを施されました。
PL処世訓には少なくとも数百の教えが圧縮され折り畳まれています。
処世訓について理解を深めれば深めるほど完全な理解が遠のいていきました。
あまりにも難解でどう文章で説明しようとしても正しく伝えることができません。


PLの教えは信仰心だけでは理解できません。
その信仰心と同じぐらい科学の知識も必要だからです。
PLの教えを理解したいなら最低でも量子論の知識が必要です。


PLの教えは基本的に逆転の発想で成り立っています。


他人が怒るのが困る。
ならば自分が怒らないようにする。「感情に走れば自己を失う」


人から祝福されたい。
ならば他人を祝福する。「自他を祝福せよ」


他人の欠点が目に付く。
それは自分の欠点が他人を鏡として見えている。「一切は鏡である」


神を理解したい。
ならば科学の知識を極める。「物心両全の境に生きよ」


自分勝手に生きると不自由になる。
ならば自分勝手に生きないようにする。「真の自由に生きよ」


そして以上のことを一言で表すなら「一切は相対と在る」となるわけです。
このようにPL処世訓は単体でも多くの教えが折り畳まれているだけでなく
他の処世訓を補足する役目も持っています。
この事は複数の処世訓を組み合わせると
折り畳まれている教えが展開できるという事なのです。


例えば「人の一生は自己表現である」と「自他を祝福せよ」
この二つを同時にイメージし組み合わせ展開すると
「一切に感謝する」または「自己表現の基本は感謝である」
という教えを展開できるようになるのです。


PL処世訓には膨大な教えが折り畳まれています。
PL処世訓を理解するには一度展開できるだけ展開し
再び折り畳むという作業を繰り返す必要があるのです。


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PL処世訓は完成しているが完成していない

この記事はPL会員向けの記事です。


PL処世訓は21か条で完成されていますが
第十六条「一切は進歩発展する」とあります。
PL処世訓も発展させることができます。
新たな処世訓を加えるのでは無く今の処世訓を補足する形で下に加えます。


処世訓


この処世訓継21か条はとくみつがとくみつ自身のために作ったものです。

PL会員の皆さんにお願いしたいのは皆さんそれぞれに
自分だけの継21か条を作っていただきたいのです。
みおしえが個人ごとに違うように継21か条も個人ごとに違うからです。
思い付かない場合は第一条のようにそのままで構いません。
これは21か条全て作れば良いというものではありません。
一つも思い付かないならそれは原21か条に対する理解が充分だからです。
私は未熟だったので作らざるを得ませんでした。


原21か条がそのままであるのに対し継21か条は自由に変えることができます。
ですが上に原21か条があるので教えの本質が変わることはありません。
これを実践できればPLの教えの懐の広さを知ることができます。
これが処世訓は完成していると同時に完成していないという理由です。


PL処世訓の内容を変えずに進歩発展させるならどうすれば良いかと考えた結果です。
もちろん非公式なので実践するかしないかは皆さんの自由です。


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映画「君の名は。」観ました

感想は一言で表すとすごいとしか言いようがありません。


新海監督の作品は基本的に切ない男女の物語で
すっきりしない終わり方が多いです。
それがネックとなり広い層に受けない要因だったのですが
今回の君の名は。はそういった要素が全て改善されていました。


新海監督が大団円を作った。
これは既存のファンが衝撃を受けるのも無理無いです。


それで新海監督らしさが失われたかと言うと全くの逆で
むしろ新海ワールドが強くなっています。
過去の作品を見た人達向けのネタが多くまさに集大成的な作品になっています。


新海監督作品に初めて触れる10代の方達には
色々な意味で衝撃を与えると思います。
それこそ人生を変えるほどの衝撃を受ける人もいるかと思います。


新海監督は光の表現の仕方でアニメ界隈に一度革命を起こしています。
そして今回二度目の革命を起こそうとしています。
エンターテイメントかくあるべしと。


昨今のアニメは人気が出れば二期をやるという方針から
すっきりしない終わり方をする作品が増えています。
それに対しちゃんと物語を終わらせることの大切さを示しています。


SHIROBAKOに続いて君の名は。が出たことによって
アニメに新時代が到来したと感じました。


新海監督を始めこの作品に携わった全ての方達に感謝します。


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