とくみつのひきこもり相談ブログ

7年3ヶ月ひきこもり無職の後、働き始めました。
ひきこもり無職の間、怖い経験をしました。
このブログは自分と同じ目に遭ってほしくないという思いで立ち上げました。

健康に向く-食事編

私は間食をしません。
カロリーを摂り過ぎるからではありません。
食物を摂り込むということは同時に胃腸に負担をかけることでもあるからです。
胃酸は弱塩酸です。
納豆菌や乳酸菌をほぼ死滅させる威力があります。
ストレスなどで胃酸が強くなると胃に穴を開けてしまうほどです。


1日に5回も6回も食べると胃腸が休まる暇が無くなってしまうのです。
食事は1日3回が適切だと判断しました。


ひきこもっていた時はなるべくシンプルな食事にしつつ
なるべく体にも良さそうな食物を選びました。
ひきこもっていた時の食物は以下の通りです。


ごはん・卵・納豆・豆腐・ヨーグルト・チーズ・トマト・バナナ・ハンバーグ
1週間のうち6日以上はこのラインナップで残りに
ピザ・から揚げ・グラタン・麻婆豆腐・みかんの缶詰
以上で7年を過ごしました。


この食品を選んだ理由を具体的に記します。
人間は性格や個性がそれぞれ違うのと同じように体質も人それぞれです。
アレルギーが分かりやすいですがアレルギーまでいかなくても
人によって合う合わない食べ物は変わるのです。
どんなに栄養が有ってもそれを食べたことによって腹を下すようではあまり意味がありません。


納豆・ヨーグルト・バナナを選んだのはお腹の調子を整えるためです。
まず整腸作用のある食品を選び消化吸収しやすい状態にしました。


主食はごはんを選びました。パンはごはんに比べ塩分が多いです。
日本人は欧米人より塩分に耐性を持っているので普通はパンでも問題ありませんが
塩分を控えるためにごはんにしました。


おかずのメインは卵。卵は完全栄養食品です。
これ1個でヒヨコまで行くのですから
体を維持する最低限の栄養は全て備わっていると教えられました。


カルシウムの補給はチーズ。牛乳は体質に合わなかったので。
野菜はトマトを選びました。食べやすい上に医者いらずと言われていたので。
ハンバーグ以下の食品は単純に自分の好みです。


食べ物の好き嫌いは体を壊す一歩なので現在では少しずつ増やしています。
ですが食べ物の好き嫌いを止めようとは思いません。
意識からなる好き嫌いは止めた方が良いと分かっていますが
自分の体が要求する好き嫌いはちゃんと聞いてあげた方が良いと思ったからです。


どんな食べ物が体に合うかは人それぞれです。
人生長いので色んな物を食べ
自分にどんな食品が合うのかを知っておくことが重要なのです。


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健康に向く

健康を維持するメリットは計り知れません。
健康であることの尊さは体を壊した時に気付きやすいです。
まず健康であることが何よりも大切な財産であると。


私は健康です。
どれくらい健康かと言うとひきこもっていた7年3か月の間
一度も体調を崩さなかったほど健康です。


なぜ健康なのかと言うと自分の体が弱いことを自覚しているからです。
だから健康な体を手に入れるために他人が引くほど徹底しました。


まず睡眠について。
毎日必ず7時間以上の睡眠を摂っています。
睡眠は免疫力を高めること、正常な判断力を保つこと、
そして得た知識を適切に吸収するために必要なものです。


入浴について。
20代以降は首まで浸からず半身浴で済ましています。
なぜ首まで浸かるといけないのか。
首まで浸かってしまうと自律神経が異常を起こすようになります。
具体的には風邪を引きやすくなってしまうのです。


さらに風呂場で水死するリスクを高めることになります。
湯船に浸かると眠くなる時がありますがそれはゆっくり失神しているのです。
ひどくなると意識を失い水死します。


運動について。
20代のころは職場にトレーニング施設があったので
若さに任せて筋トレをしまくってました。
その貯金のおかげで今も健康体を維持できています。
現在運動といえば歩いているだけですがそれで充分だと気付きました。


運動の必要性については宇宙飛行士の例が分かりやすいです。
長い間無重力状態だと毎日どんなにトレーニングを積んでも
地球に帰還したとき立てなくなるほど消耗します。
筋肉や骨に適度な負荷を与え続けることの重要さがよく分かります。


本題の食事については次に書きます。


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死後の世界を想う

合理的な考え方ができる人は死後の世界は在ると仮定して行動できます。


死後の世界は在るのかどうか。
現状では分からないというのが正解です。
分からないなら死後の世界についてどう考え行動すれば良いのか。


4つのパターンが考えられます。
死後の世界は在ると仮定し在った場合と無かった場合。
無いと仮定し在った場合と無かった場合。


死後の世界は在ると仮定しそれに備えた場合
実際在ったなら備えあれば患いなしの状態になります。
無かった場合はただ無に帰すだけですが
生きている間に世のため人のために取った行動は決して無駄になりません。


死後の世界は無いと仮定し何もせず死後の世界が無かった場合。
これも無に帰しますが世界に少しだけ傷を残すことになります。
そして死後の世界は無いと決めつけ世のために何もせず死後の世界が在った場合。
恐らくこれが一番悲惨なことになると思います。


死後の世界が在るのかどうかこの世では分かりません。
しかし4つのパターンを考えると死後の世界は在ると仮定し行動するのが無難なのです。


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無知の知、不知の知

人間は全てを知る事はできない、知らない事は知らない、
自分には世界について知らない領域があることを自覚する。


私は無知の知、不知の知について自身の体験から教えられたことがあります。
私が持っている知識は全て私の脳が持っている物であるということ。
つまり私の意識は何も知らないということ。
私の意識はいつも知識を自分の脳から借りているだけなのだと気付きました。
人間の意識は生まれてから死ぬまで知識が無いままの存在なのです。


では人間の意識は何のためにあるのでしょうか。
それは人間が人間らしくあるためです。
意識が無いと人間は善悪の判断が動物並みになってしまいます。
また世界を良い方向へ発展させることができなくなります。


自然の摂理は人間に自由意志を与えてくれました。
ですが生まれた直後に自我はありません。
まず自分の体が知識を得てから人格を形成します。
人格を得た後どうすれば良いのか。
今度は自分の意思で知識を脳に与え自分の体と相談するのです。
得た知識は自分にとって良い知識なのかどうか。


良い知識ならば体の調子は良くなり悪い知識なら体の調子は悪くなります。
厄介なのがそれが分かるまで時間がかかるということです。
だから体が悪くなる前に気付くことが重要になってくるのです。


自分の体を下に見る傾向がある人は体を壊すまで気付きません。
自分の意識は知識を持っていないことに気付き
なるべく早く自分の体と和解していただきたいです。


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PL処世訓について - 1

この記事はPL会員向けの記事です。


ここまでPL処世訓について教えられた範囲で記してきましたが
PLの教えを知っている方にはこう思われた方がいらっしゃるのではないでしょうか。
あまりにも説明が不足していると。
不足するのは仕方ありません。PL処世訓はそういうものなのです。


世にある多くの処世訓は見ればすぐになるほどと思えるものですが
PL処世訓はそうなっていません。
PL処世訓は抽象的な表現が多いからです。
なぜ抽象的な表現が多いのか。
それは二代さまの悟りの全てが21か条に集約されているからです。


PL処世訓は元々一つだけです。
第一条「人生は芸術である」
この処世訓が原点であり終点なのですが
これだけだと曖昧すぎてよく分かりません。
この処世訓を理解しやすく展開したのが残りの20か条なのです。


そして第八条「日の如く明かに生きよ」には
明るく振る舞うこと、嘘を吐いてはいけないことと
二つの教えが折りたたまれている事がすぐに分かります。
他の処世訓もその処世訓を原点として複数の教えが折りたたまれているのです。


PL処世訓には少なくとも数百の教えが圧縮され折りたたまれています。
そのため使う人によって出てくる教えが異なるのです。
説明不足になってしまうのもそれだけ多くの教えが折りたたまれているからです。
PLの教えを知っている方はPL処世訓に折りたたまれている教えを
展開していかなければならないのです。


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