とくみつのひきこもり相談ブログ

7年3ヶ月ひきこもり無職の後、働き始めました。
ひきこもり無職の間、怖い経験をしました。
このブログは自分と同じ目に遭ってほしくないという思いで立ち上げました。

「人生は芸術である」

この記事はPL会員向けの記事です。


人間には他の動物には無い様々な欲がありますが
その中でも人間だからこその欲があります。その欲とは芸術欲です。
素晴らしい作品を見たとき感動できるのは
自分の持っている芸術欲が間接的に満たされるからです。
科学ニュースを見た時にワクワクするのも芸術欲が刺激されるからです。


芸術欲は創作欲や知識欲、共感や達成感などの感性で構成されています。
何かを作りたいという想いや面白い作品に出会いたいという欲求こそが
人間を人間たらしめているものなのです。
この芸術欲が満たされないと何を見ても面白味を感じなくなってしまいます。
満たされない状態が続くと最終的には無気力な人間になるか破壊的な行動しか起こせなくなります。


作品にケチを付けずにいられない人というのはそれに気付いていません。
叩くことによって一時の優越感を持てたとしてもそれまでで
自分の芸術欲が満たされることはありません。
満たされないからまた叩いてしまい負のスパイラルに陥ってしまうのです。


作品に出会った時はなるべく楽しもうとすることです。
そして面白かったら称賛し次の作品を求め
自分に合わないと思ったら静かに離れ別の作品を探しに行くのです。
一つの作品に粘着し叩き続けるか、面白そうな作品を追い求めるか、
どちらが自分にとって有意義なのかは考える間でも無いはずです。


そして感性を磨けば芸術欲が満たされやすくなり
大抵の作品は楽しめるようになります。


この姿勢はそのまま人生に当てはまります。
人の欠点ばかり見ず長所を見るようにしたり、
日常生活の何気ない出来事にイライラせず前向きに考えたり、
困難には創意工夫を持って対処すれば自分の芸術欲が満たされるようになるのです。


だから幸せに生きるための処世訓を一言で表すなら
「人生は芸術である」のです。


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「人の一生は自己表現である」

この記事はPL会員向けの記事です。


人間は自己表現するために生きています。
人間は創意工夫する力を与えられました。
せっかく与えられた力を使わないともったいないです。
なぜ創意工夫する力を与えられたのか。
それは世界を進歩発展させるためです。
そして世のため人のために行動することは一生続きます。


これだと自分は世界のために犠牲になれと解釈できてしまいますが
犠牲になるというのは違います。
自分をこの世に置くということは世界に沿うということです。
沿わないより沿った方が楽に生きられるのです。



この処世訓を一つ展開させていただきます。


人は誰しも美しくありたいと願っています。
しかし人間の体はいずれ朽ちます。
年を重ねた先に美しく在るためには心を美しくするしかありません。
逆に言えば心さえ美しければ何歳になっても美しいままでいられるのです。


人間の体は30歳前後から衰え始めます。
しかし人間の精神は年齢に関係なく成長させることができます。
この世を去るその瞬間まで成長させ続けることができるのです。


ここで一つの問題が出てきます。
朽ちていく体に対し心だけが成長していくので
心と体の不一致が起きやすくなってくるのです。


この問題に対処するには日々自分の体に感謝していくしかありません。
この世で活動できる感謝を。
眠る前に今日生き延びることができた感謝を。
目が覚めた時に生きて目覚めることができた感謝を。


年を重ねることはそれだけ多くの命をいただくことです。
天の恵みと大地の実り、生産者や運送販売の人、
自分の命をつないでくれる命に万感の想いを込めて、
「いただきます」「ごちそうさま」をしてください。


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過去の全てが今に在り、今の全てが未来に在る

光電効果の光量子仮説によってアインシュタインさんはノーベル賞を受賞しました。
シュレーディンガーさんは波動方程式を確立しました。
どちらも量子論に不可欠な理論ですが
肝心のお二方は量子論の考え方に否定的でした。


裏を返すと量子論について最低限理解できれば
このお二方が辿り着けなかった世の理を手に入れることができるのです。
今に生きる人は過去の科学者達が一生かかって手に入れた知識を
短時間かつ簡単に手に入れることができるのです。


過去の大勢の科学者達の知識をただの一般人が手に入れられる。
これが今に生きる人達の強みなのです。
この知らない事を知った時のカタルシスを味わってほしいです。


同様のことは未来にも起こります。
今では受け入れがたいような知識でも
未来では小学生でも知っているような当たり前の事となります。


常に最新の科学に触れることは科学の流れを知ることであり
その流れに逆らわないことが世に自分を置く基本なのです。


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「自己は神の表現である」

この記事はPL会員向けの記事です。


自然の摂理は世界を進歩発展させるために人間を生み出しました。
この処世訓は自分が人間である自覚を持つことが大切だと説いています。


この世において他の動植物と比べ人間だけにしか持ってないものが多くあります。
創意工夫する力、心。
物質の組成について言及できること。
自分が生まれる前や死後について、この宇宙が誕生する前。
余剰次元について、クオリアについて。
これら全てに言及できるのは人間だけなのです。


だから人間は何よりも尊いのです。
他の動植物はクオリアを持っていないのです。


クオリアは現在の科学では全く解明できていません。
世の物理法則はこの宇宙が誕生した時に全て生まれました。
しかしクオリアだけはこの宇宙のどの物理法則とも交わっていません。
クオリアはおそらく四次元以上の次元物理法則であると考えられます。
二次元の視点から三次元を見ようとしても想像の範疇を超えています。
それと同様に三次元の視点から四次元を見ようとしても四次元の影しか見えません。
クオリアもまた余剰次元の影と言えるのです。


この宇宙を超えた存在であるクオリアに言及できる人間はなんなのか。
この時点で人間の精神は三次元空間とは別の存在であると言えます。
三次元空間を超えたイメージができる人間は
三次元空間において神の視点を持っていると言えます。


自然の摂理は人間を生み出しました。
進歩発展させる力を与えられました。
宇宙規模の視野を持てる力も与えられました。
そして自分の肉体は三次元にあり思考と意識は同一ではありません。


ここまで知覚できると気付くことができるのは自分の意識ではなく
自分の脳、肉体が気付いているのだと理解できるようになります。
だからPLでは自分で気付くのではなく気付かされるという表現になるのです。
宇宙の流れ、本来の道に沿うようにすればそれだけ気付きやすくなるのです。


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自分の思考と意識は同一では無い

多くの人は自分の思考と意識は同一と考えていますが
それは同時に発生しているために同一だと錯覚しているのです。


思考の源泉である脳は自分の意識とは別に動いています。
自分の脳が別に動くのは統合失調症を患っている人ぐらいだと
思われる方がいらっしゃるかもしれません。
しかし精神病を患っていなくても
自分の脳が自分の意識と別に動くことは日常的に起こっているのです。


なぜかは自分の思考を止めようとしてみればすぐに分かります。
思考を止めようとしても長くは続かず何らかの思考が湧いてきます。
それは自分の脳が自分の意識とは別に動いているからです。


分かりやすい例が音楽です。
ふいに頭の中で音楽が流れる時があります。
大抵は自分のお気に入りの曲が流れますが、
たまになぜこの曲? と選曲に疑問が浮かぶような曲が繰り返し流れることがあります。
それこそが自分の脳が自分の意識とは別に動いている証拠なのです。


思考と意識は別であると認識すると自由意志も認識できるようになります。
怒りの思考が出てきたとします。
何も考えずにその怒りに乗った時、そこに自由意志はありません。
怒りの思考が出てきた時に一度思考を止め、
怒るか怒らないかを選べる状態にし、さらに怒らないことを選択できれば
自分に自由意志が存在していると言えるのです。


自分の思考を止めようとしてみる。
そこから湧いてくる思考を客観的に観察する。
その客観的に観察しようとする存在、それこそが自分の意識の核なのです。


自分の思考と意識は同期していますが決して同一ではありません。
これを認識できれば思考や感情に振り回される機会は格段に減ります。


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