とくみつのひきこもり相談ブログ

7年3ヶ月ひきこもり無職の後、働き始めました。
ひきこもり無職の間、怖い経験をしました。
このブログは自分と同じ目に遭ってほしくないという思いで立ち上げました。

煙草について

煙草は百害あって一利なしとよく言われます。
では煙草は本当に悪なのでしょうか。


悪ならJTも認可を降ろしている政府も悪ということになります。
実際はそうではありません。
JTは嗜好品を販売しているだけです。
さらにパッケージに健康を損なう恐れがあると明記しています。
政府は産業の一つとして認可しているだけです。
今の法律の範囲内では煙草そのものは決して悪では無いのです。


問題となっているのは受動喫煙や吸い殻のポイ捨てなどです。
しかし大半の喫煙者はマナーを守って吸っています。
ほんの一握りのマナーが悪い喫煙者によって煙草は悪にされているのです。
それを抜きにしても健康被害がある時点で絶対悪とする人がいます。
確かに負の側面が大きく一利も無いように見えます。


私は運良く禁煙に成功した人達から話を伺うことができました。
その方達から共通して教えられたことがあります。
「喫煙している時、充分配慮していたつもりだったが全然足りていなかった。
 禁煙してやっと気付くことができた」
その感覚は恐らく喫煙者にも非喫煙者にも分からない感覚だと思います。
喫煙し禁煙に成功した人のみが得られる感覚です。


禁煙に成功したその方達は真面目で仕事もよくできる方達でした。
そして禁煙後はさらに配慮ができる人になられていました。
このことから煙草はその方達にとって人間的に成長させた物だとも言えるのです。


煙草が絶対悪だというのなら彼らの成長を否定することになります。
煙草が無かったら彼らの人間的な成長も無かったかもしれません。


PLでも喫煙は禁止していません。
自身の健康と周囲に配慮してくださいと伝えるだけです。
私は子供の頃よそ見をしたPL会員さんが持っていた煙草が腕に当たり軽い火傷をしたことがあります。そういった経験も有り、PL会員なのになぜ煙草を吸う人がいるのか理解できませんでした。
今では煙草は禁煙できる人を成長させるための材料だと捉えています。


人によっては成長させる物であろうと健康被害がある時点で
総合的にマイナスであると考える方はいらっしゃると思います。
ですが声高に煙草は悪であると主張する必要はすでに無くなっているのです。
健康志向の高まりや税率の引き上げによって喫煙者は年々減り続けています。
喫煙者の数が大幅に増えるという流れはもう起きないはずです。
煙草の問題は解決に向かっているので後はその流れに沿うだけなのです。


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多様性を認める

何事も多様性は重要です。


例えば生物の多様性は食物連鎖を保つ上で必要です。
一つの種が絶滅するとそれだけを捕食していた生物も連鎖的に絶滅するように
多様性が失われると絶滅する速度が上がります。


地球では過去に5回の大量絶滅がありました。
全て自然の変動に因るものです。
現在6回目の大量絶滅期に入っています。
原因は人間です。
乱獲や文明活動によって生態系に影響を与え続けているからです。


だからといって人間は悪なのかという考えは持ってほしくないです。
大きな目で見るとこれも自然の摂理の一環だからです。


人間は高い意識で反省することができる生物です。
ワシントン条約や人工飼育によって絶滅への歯止めをかけています。
遺伝子技術の向上によって絶滅した種を復活させようとする動きもあります。
大量死を引き起こす病原菌を撲滅させることもできます。
人間によって絶滅を免れた生物もいるのです。
進歩している面をさらに推し進めていくことが大事なのです。


多様性は変化をもたらし進化を促します。
食物の多様性は自分の体質に合わせて体を作ることができます。
職種の多様性は経済が活発になります。
創作の多様性は感性を磨きやすくなります。
価値観の多様性は新たな発見につながりやすくなるのです。


だから人種、言語、文化、思想、宗教も
多様性を認めることが進歩発展につながるのです。
一つの価値観しか認めない、一つの宗教しか認めないという考えは
時代を逆行するだけなのです。


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科学と宗教の調和

科学と宗教は決して相反するものではありません。


現代における宗教の役目は科学の補足です。
昔は科学が未発達だったので宗教が占める割合が大きかったですが
科学が発達した現代では科学の割合が大半を占めています。


しかしどんなに科学が発達しても説明できないことが出てきます。
科学ではどうしても説明が付かない事に対し仮の措置として宗教を用いるのです。
その後科学で解明されたなら解明されたことに喜び
宗教はその分野から身を引くのです。


現代宗教に求められるのは科学との調和です。
科学を否定する宗教は衰退を避けられません。


現代では世の理は科学で大体説明できます。
科学は多くの人を納得させてくれます。
それは世の理が多くの人に理解されやすくなっているという事なのです。
宗教の領域が減ることは喜ぶべき事なのです。



科学の難題として現状解決が見えない問題がクオリアです。
人間がこの問題を解決するのは相当の未来であろうと推測します。


色のクオリアだけでも人間は可視光線の3原色しか認識できないからです。
まれに4原色を認識できる人もいますが数えるほどしか存在せず全員が女性です。
男性は遺伝子の関係で4原色を認識するのは不可能だからです。


そして赤外線にも紫外線にも色のクオリアは存在している、
さらにその外側の電波にもクオリアが存在しているらしいと来ると
ますますその法則性がつかみ難くなっていきます。


宗教ならクオリアについて言及すると
自然の摂理がクオリアを認識言及できるよう人間に与えた能力である、
と一行で済むわけですが感覚的なものなので納得する人は少ないでしょう。


ただ色のクオリアについて私が主張したいことが一つ有ります。
自分の見ているクオリアと他人が見ているクオリアは概ね同じであるということです。
クオリア問題に向き合っている人の中には
人によって見ているクオリアは違うかもしれないと言う主張が有ります。


私はそんなことは無いと思っています。
一眼レフカメラで撮っても使い捨てカメラで撮っても
映る風景はほぼ同じになるのと同様で
細胞の構造が同じならクオリアも同じように感じるはずです。
せいぜい人種の目の色の違いによって少し差異が現れる程度で
感じているクオリアは同じと考える方が妥当なのです。


人類が誕生する前からクオリアの現象自体は存在していたはずです。
少なくともこの宇宙が誕生した瞬間から存在していたはずです。
どの物理法則とも数学的に交わらないクオリアには
自然の摂理そのものを感じずにはいられません。


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世の理を明らかにする

この記事はPL会員向けの記事です。


「日の如く明かに生きよ」に折り畳まれている教えです。
人間は本能として知識欲を持っています。
自然の摂理が人間に与えたものです。
有史以来人間はこの世の謎を解き明かそうとしてきました。


物理法則が明らかになっていない時、それは存在しないのと同じです。
新たな法則が見つかることは裏を返せば
人間が新たな法則を生み出しているのと同義になるのです。
このことをPLでは人は神の表現であると説いています。


私が最近このことを実感したのは絶対零度を下回る現象が確認されたことです。
この技術が発展するとどうなるか。
エネルギー効率が100%を超えるエンジンを作れるようになる、
重力に逆らうことができる、
宇宙を膨張させている謎のダークエネルギーが解明されるかもしれない、
という創作の世界でしかあり得ないことが起きるのです。


科学の進歩はそれまでの常識をひっくり返してくれます。
新たな物理法則が明らかになるたびに生活の水準は上がっていきます。
暮らしが便利になると心に余裕ができ、新たな知識を得る機会が増えていきます。
そして知識を得た人達の中からさらに役立つものを作ろうとする人が出てきます。


自然の摂理を解き明かすことは人間の本能であり
宇宙が誕生してから続いている必然の流れなのです。


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「一切は進歩発展する」

この記事はPL会員向けの記事です。


この処世訓の大元の教えは「諸行無常」です。
この世に不変のものは存在しない。世は常に移ろうもの。
世の中の一切は常に変化を続けているという教えです。


形あるものはいつか無くなるという考えから
儚さや切なさを内包している教えですが
PLでは世が変化を続けるというのなら
それは良い方向に変化を続けるべきであると説いています。


実際に暮らしの水準は上がり続けています。
ご飯を炊くのもかまどから電気炊飯器になりましたし
冷蔵庫やエアコンはフロンガスを撤廃した上に省電力化が続いています。
洗濯機も手洗いや二層式からドラム式の乾燥機能付きになっています。
湯沸かし器やガスコンロもIHに取って代わられつつあります。
車も燃費の向上、ハイブリッドや電気自動車によってクリーン化が進んでいます。
電話もPHSや携帯電話を経てスマートフォンの時代になっています。


この変化を受け入れ楽しむことができれば
自分もまた自然と発展して行けるようになります。



この処世訓に「常に善悪の岐路に立つ」と「一切は相対とある」を加えると
「一切は転化する」という教えが折り畳まれていることが分かります。
転化とは悪い状態が良い状態へと変化することです。


私の例だとひきこもりと統合失調症の状態から普通に働けるようになった上
ひきこもっていた時の全ての経験が今の私を生かす知識となったことです。
私の例に限らず身近な例を示すと筋トレが分かりやすいです。
筋トレはつらいですが丈夫な体を作ることができます。


科学の歴史を見ても転化が起きていることが分かります。
飛行機が無い時代に空を飛びたいと言っても夢想家として片づけられていました。
しかし飛行機が発明された時、当時は夢想家呼ばわりされても
未来では飛べることが実現し評価がひっくり返ります。
空を飛びたいと願い続けたからです。
その願いを持ち続けた人達は全て報われたことになります。


たとえ生きてる内に願いが叶わなかったとしても
後世の人が達成したのなら報われるのです。
これは世界平和への願いを絶やさないことに通じます。
いつか世界に平和が訪れたなら過去に平和を願った人達の全てが報われるのです。
だから私も世界平和を願い続けます。


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