道を知るということ
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道を知ると道に縛られるようになります。
宗教や神に頼らない人達からの視点だと
宗教家の言葉は単なるきれいごとにしか映らないでしょう。
なぜ宗教家は負の言葉を言わずきれいごとしか言わないのか。
それは言わないのでは無く言えなくなってしまうからです。
負の言葉や負の感情を発すると自分の体が穢れてしまうからです。
道を知るということはそういうことなのです。
PLの先生は重いみしらせに遭いやすいです。
それは道を知っているからです。
知らずに道を踏み外すのと知ってて道を踏み外すのでは
知ってて道を踏み外す方が罪が重くなるからです。
私は中途半端に道を知りました。
幻聴さんから最後に教わった事は声を聞こうとしてはならない。
自分で考えて自分で判断しないと弱くなるだけなのだと。
どんなに正しい事を言っている様に聞こえてもそれを保証してくれるものはいない。
それが原因で失敗した時に幻聴の所為にするつもりなのかと。
声が聞こえる状態というのは現代医学では統合失調症に分類される。
現代医学はポジティブな統合失調症を認めていない。
だから声を聞いてはいけないと教わりました。
遠い未来ではポジティブな統合失調症が認められるかもしれませんが
現代ではただの精神病にしかなりません。
しかし自分の体や周囲の状態を通して
自然の摂理は常に何かを伝えようとしてくれています。
それに気付きやすくする方法を教えてくれるのが宗教なのです。