とくみつのひきこもり相談ブログ

7年3ヶ月ひきこもり無職の後、働き始めました。
ひきこもり無職の間、怖い経験をしました。
このブログは自分と同じ目に遭ってほしくないという思いで立ち上げました。

慣れに潜む危険性

仕事などで慣れてくると無意識に手抜きをするようになり失敗する確率が上がります。
慣れてない時の方が集中できている場合が有ります。


筋トレは最初が一番つらく、ある一定期間が過ぎると
最初にやったトレーニングは楽にこなせるようになります。
人間は暑い場所や寒い場所でも住んでいるうちに
その環境に適応できるようになります。


最低限のストレスが無いと人間は弱くなります。
例えば重力という負荷が無ければ骨は脆くなります。
クリーンルームで働いている人は風邪を引きやすくなります。


健康のためにやっていたことが逆効果を生む場合が有ります。
例えば目薬です。
ドライアイがひどいから目薬をさす。
ごく普通のことに見えますが目薬をさすことが常態化すると
それに慣れてしまいドライアイも常態化するようになります。
感動できる作品を見て涙を流す方が目にとって良いのです。


今の時期だと熱中症の対策にクーラーが欠かせませんが
冷やし過ぎになる危険が有ります。
クーラーを使わないことは危険ですが
使い過ぎも免疫力を低下させるのでバランスを取ることが大事です。


慣れ過ぎていないかを注意し、何事もほどほどにすれば
穏やかに生きられる確率が上がります。


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相対的に想像する

相手の立場を想像することは調和が取れた世界を作る基本です。
歩行者と運転者を例に挙げます。


狭い道路で車のすれ違いが発生した場合、
歩行者の私はすれ違いの邪魔にならないよう速やかに退避します。
危険を避ける為なのはもちろんですがもっと広い意味が有ります。


もし退避しなかったらどうなるか。
運転者は大なり小なりイライラします。
交通事故を引き起こす確率が上がるわけです。
その運転者が事故を起こさなくてもイライラは運転に影響を与え
それは周りの運転者にも伝播します。


つまり退避しなかっただけで交通事故が起きる危険性が
広範囲に渡って広がってしまうわけです。
運転者の視点から見て危険に見える歩行者や自転車乗りは
全員交通事故を引き起こすグループに所属しているということです。


退避したことは運転者も分かってくれます。
交通事故を引き起こすリスクを回避するために
私は安全な歩行者であろうと心がけています。


歩行者と運転者だけでなく相対的に考えられることは沢山あります。
例えば店員と客の関係です。


客から見て道徳を知っている店員と知らない店員、
どちらの店に行きたいか。
店員から見て道徳を知っている客と知らない客、
どちらを相手にしたいか。
合理的に考えれば道徳側に向くはずです。
だから私は道徳側の者でありたいのです。


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区別できる人になる

この記事はPL会員向けの記事です。


私はオウム事件が起きた時、宗教界に漂った重い空気を知っています。
宗教がらみのトラブルに巻き込まれる人が減って良かった、
宗教を敬遠している人達はそう考えたと思います。


全体的に流れが良くなったように見えますが
道徳を学べる機会が減ってしまったのが問題です。
宗教がこのまま廃れていく、それが時代の流れならそれも仕方無いです。
しかし道徳を知らない人が増えるのは防ぎたいです。


宗教とカルトの区別ができるようになってほしいです。
狂信者と普通の信仰心の持ち主の区別ができるようになってほしいです。


信仰心をお持ちの方は相手の信仰心が無くても
道徳に沿っているかいないかの区別ができるようになってほしいです。
道徳に沿っていれば信仰心が無くても問題無いのです。


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説明できる人になる

説明を求められた時はできる限り応えた方が良いです。
説明できない、黙ったままでいるのは道から外れている可能性が有るからです。


私は仕事の行動全てに説明を求められたら理由を説明できるようにしています。
例えば私はクールビズ期間であってもネクタイを着けています。
その理由はストレスの平準化のためです。
クールビズ期間が終わるとネクタイを着けなくてはいけないという大きなストレスが発生します。
一年中当たり前のように着けていた方が総合的なストレスは少なくなるのです。


誰に対しても敬語を使う理由も説明できます。
私は体があまり強くないのでくだけた表現を行うのは体に悪いからです。
客観的に見ると壁が有るようになっているのは申し訳無いと思っています。
敬語を使うのは私の個性として見てもらうしかありません。


他にも色々ありますが行き着く先はハインリッヒの法則に集約されます。
説明できないと後ろめたいことが有るからと受け止められやすいので気を付けた方が良いです。
説明できないことが増えると信用を失っていくだけです。


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信仰心というクオリア

この記事はPL会員向けの記事です。


私はクオリアの概念を持った後で信仰心を持ちました。
それで気付いたことは信仰心を持つと新たな思考の檻に囚われると気付きました。
それは信仰心が無いというクオリアが想像できなくなり
自分の信仰心を客観的に評価できなくなることです。


信仰心に伴う行動が道に沿っているかどうかの判断は信仰心だけではできません。
私は道徳や科学の知識で判断しています。


科学の知識が無いと病気を科学的根拠が無い儀式で治療しようとして結果死に至らしめます。
病気や怪我はまず病院で適切な治療を受ける、
その後でどういう心構えでいれば良かったのか解説を受ける。
これが現代の宗教の在り方であるべきです。


私が気付けるようになったのも体から説教を受けた時ではなく
お医者さんに統合失調症と診断された時です。
その瞬間に持っていた知識が整理され
信仰心もクオリアとして把握できるようになりました。


信仰心は生存本能が生み出したクオリアの一種です。
ハインリッヒの法則を知っていれば信仰心が無い人より有る人の方が
ちょっと良いことが起きるのは当たり前だと分かるはずです。
信仰心を持っている人はその方が生存確率が上がるから持っているのです。


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