PL処世訓について-2
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二代さまはPL処世訓に色々な仕掛けを施されました。
PL処世訓には少なくとも数百の教えが圧縮され折り畳まれています。
処世訓について理解を深めれば深めるほど完全な理解が遠のいていきました。
あまりにも難解でどう文章で説明しようとしても正しく伝えることができません。
PLの教えは信仰心だけでは理解できません。
その信仰心と同じぐらい科学の知識も必要だからです。
PLの教えを理解したいなら最低でも量子論の知識が必要です。
PLの教えは基本的に逆転の発想で成り立っています。
他人が怒るのが困る。
ならば自分が怒らないようにする。「感情に走れば自己を失う」
人から祝福されたい。
ならば他人を祝福する。「自他を祝福せよ」
他人の欠点が目に付く。
それは自分の欠点が他人を鏡として見えている。「一切は鏡である」
神を理解したい。
ならば科学の知識を極める。「物心両全の境に生きよ」
自分勝手に生きると不自由になる。
ならば自分勝手に生きないようにする。「真の自由に生きよ」
そして以上のことを一言で表すなら「一切は相対と在る」となるわけです。
このようにPL処世訓は単体でも多くの教えが折り畳まれているだけでなく
他の処世訓を補足する役目も持っています。
この事は複数の処世訓を組み合わせると
折り畳まれている教えが展開できるという事なのです。
例えば「人の一生は自己表現である」と「自他を祝福せよ」
この二つを同時にイメージし組み合わせ展開すると
「一切に感謝する」または「自己表現の基本は感謝である」
という教えを展開できるようになるのです。
PL処世訓には膨大な教えが折り畳まれています。
PL処世訓を理解するには一度展開できるだけ展開し
再び折り畳むという作業を繰り返す必要があるのです。