この記事はPL会員向けの記事です。 この処世訓の表現とは自己表現を指し 自己表現とはこの世であるべき自分を示すことなのです。 何か気が付いた時に何もしない、やるべきことをやらない、 良い方向へ向かうための発言や行動を起こさないと 自分の体は無意識のうちに悪い流れへ向かってしまうのです。 人間の体は... 続きをみる
2016年7月のブログ記事
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亡くなられた方々と遺族の方々に心よりお悔やみ申し上げます。 どんな理由があろうと人を殺めてはいけません。 殺めてしまった時点で正しい道から外れ元の正しい道に戻れなくなります。 心の底から反省したとしても周囲の人はそれを信じることができないからです。 その認識の違いからまた同じ不幸を呼び寄せてしまい... 続きをみる
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この記事はPL会員向けの記事です。 感情に走るとは感情に流されるよりも強い感情で その感情に突き進んでいる状態を指します。 怒りなら怒りに怒りを重ね周りが見えなくなるほど怒っている状態です。 感情に走ると視野が狭くなり落ち着いて対処すれば解決したはずの問題も解決しなくなってしまうのです。 私はこの... 続きをみる
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私は統合失調症になり幻聴に襲われた時、精神面で色々なことが起きました。 その後ひきこもりを脱出し今までとは世界が変わって見えるようになりました。 あの時何が起きたのか思い返しました。 マンションに帰れなくなった時、私はもう駄目だと思いました。 自分の意識がどんなに頑張ろうとも脳がまともに使えない。... 続きをみる
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一切は相対と在るという処世訓から 善の相対は悪、平和の相対は戦争なのだから それらの概念が存在する限り世界平和が訪れることは無いと思われがちですが それは直接的に結び付けて考えているためで 一旦切り離して他の要素を足した上で考えれば 世界平和は決して夢物語では無いことが見えてきます。 平和が訪れた... 続きをみる
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この記事はPL会員向けの記事です。 自分という人間は自分の意識、身体だけではありません。 家族、友人、知人といった周りの人達も自分を構成している要素なのです。 さらに人間だけではなく自分の身近にあるもの全てが自分を構成する要素なのです。 このことから自分の意識は自分を構成する一つの要素でしかないと... 続きをみる
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この記事はPL会員向けの記事です。 世の中の全てのものには対となるものが存在しています。 昼と夜、男性と女性、動物と植物、科学と宗教、物質と反物質。 徳光教の時代ではこの事を陰陽と表現していました。 陰は陰という字面のせいであまり良いイメージがありませんが 決して悪では無いことを知っておかなければ... 続きをみる