とくみつのひきこもり相談ブログ

7年3ヶ月ひきこもり無職の後、働き始めました。
ひきこもり無職の間、怖い経験をしました。
このブログは自分と同じ目に遭ってほしくないという思いで立ち上げました。

人の道を知るメリットとデメリット

この記事はPL会員向けの記事です。


道を知ると道に縛られるようになります。
デメリットは負の言葉や負の感情を制約の中でしか使えなくなることです。
無闇に使うと自分の体に何らかの異常やダメージが現れるからです。


使っても良い条件とは創作の世界でのみ使用を許されるということです。
そして創作の世界であっても使ってはいけない言葉が分かるようになります。


もう一つのデメリットは道を知ると寿命が縮むということです。
それまでの自分の行いを清算するために残りの寿命を使うからです。
人によっては呪いとしか思えないでしょう。


私は寿命が減っても道を知れて良かったと納得しています。
寿命を払ってもお釣りが来るほどメリットが有ったからです。


メリットは日常生活においてストレスを感じることがほぼ無くなったことです。
特に天候や気温で不足を思うことは一切無くなりました。
あるがままの自然現象として受け入れられるようになりました。
食べ物がとても美味しく感じられるようになったり
疲れにくくなって夜はぐっすり眠れるようになりました。
大抵の作品は楽しめるようになりました。


これらはほんの一例でメリットは他にもたくさんあります。
中途半端な状態でもこうなので完全に道を理解出来たら楽しいだろうなと思います。



道を知っている上で発生する制約について一つ例を示します。
道端に空き缶が落ちていたとします。
当然拾うわけですがそこでどう想うか。


道を知っていると空き缶を拾うことによって
景観が良くなることに喜びや感謝を見出し徳が上がるわけですが
中途半端な私は「これを拾うと徳が上がるなあ」
とか思いながらやるので徳が上がりません。


道を知っている人として一番やってはいけないことが
「空き缶を捨てるなんてけしからん。バチが当たれ」と思うことです。
そう思うと自分にバチが当たるようになります。
なぜなら人の不幸を願ったからです。


このように道を知ると物の見方や考え方に制約ができるのですが
道を知ればどれも当たり前の事として認識できるようになるので
不便に思うことは無くなります。


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ハインリッヒの法則

ハインリッヒの法則は1件の重大事故が起きた時その事故が発生するまでに
29件の軽度な事故と300件の小さな異常があるという経験則です。


300回ミスをしたらその内の1回が重大事故につながるというもので
逆に小さなミスに対し一つ一つ対処すれば
重大事故は起きないという危険予知において基本となる考え方です。


この法則は安全だけでなく仕事や趣味などあらゆる分野で活用できます。
小さなミスを放置せず対処すれば重大な失敗は起きず
重大な失敗によって生じる損失も発生しないからです。
良い企業はハインリッヒの法則を重視しています。


あらゆる分野に適用できるので健康を目指すのに活用したり
精神面を鍛えることにも使えます。
300回負の言葉や負の感情を使うとその内の1回が大きな失敗につながるのです。


負の連鎖に巻き込まれていると
どうしても負の感情に流されやすくなってしまいます。
無理に前向きになろうとしても逆効果なので
まずは止めることから始めていただきたいです。
ほんのわずかで良いので寛容になっていただきたいです。


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宗教が抱えやすい問題

宗教はその特殊性ゆえに自らが抱えてる問題に気付きづらいです。
蓄財の罪や科学との不調和など色々あります。
宗教が抱えている最大の問題は指導者が道を踏み外した時に
それを正す手段が存在しないことです。


宗教の指導者はいくら道を間違えても下の信者は正してくれません。
宗教のトップに立つと何をやっても信者は肯定するしかなくなります。
批判しようものなら神の教えが分かってないと破門されるだけだからです。
だから自分が正しい道を歩んでいるのか判断できなくなってしまうのです。
もちろん外部の批判も聞き入れてくれません。
神を知らない立場の意見は聞き入れる必要を感じないからです。
宗教が疎まれる原因はここにあるのです。


歴史を顧みればたびたび宗教改革や宗派の分裂が起きています。
そのうちの理由の一つが上にいる指導者が道を間違えたと判断し
下の者達が付いていけなくなったからというのが有ります。
そうやって分裂すると元に戻ることは難しいです。
同じ宗教から派生したのに仲が良くない宗教が多いのは
互いに相手の教義が間違っていると主張するからです。


自然の摂理の本質は同じなのですが解釈する人間に個性があるために
どうしても教義に違いが出てきてしまいます。
宗教は世界平和を目指すものなので教義の違いは些細な問題なのです。


厄介な問題はもう一つ有ります。
それに付け込んで宗教を食い物にする人がいることです。
利権を貪るためだけに宗派を分裂させたり
新たな宗教法人を立ち上げる人がいるのです。
これがカルトです。


宗教とカルトの区別が難しくなっている原因は
個人で見る人がいるからです。
カルトにも善良な信者はいますし宗教にも狂信者はいます。
個人でその宗教を見るとその宗教が見えづらくなってしまうのです。


宗教を見るならまず教義を見てほしいです。
主な教義は日々感謝の心を持つようにしているか、
先祖を敬う大切さを説いているか、
他人にされて嫌なことはやらないようにする、などです。
カルトは他の宗教から教義を流用しているだけなので
一貫性が無くなりやすいです。


次にシステムを見るとカルトと宗教は明確な違いが出てきます。
科学との調和を進めているか、
法外なお布施を要求していないか、
他の宗教の存在を認めているか、
布教にノルマが無いか、などです。


布教については教えを広めたいという欲から
普通の宗教でも問題を起こしがちです。
宗教アレルギーの方が増えてる事や科学の進歩を見ると
もう積極的に布教する時代では無いと思います。


科学が未発達の時代では自然が身近にあり共に生きていたので
自然の摂理の理解は自然を軸として行われました。
科学の進歩により自然の摂理は別の側面を見せています。
科学の流れもまた自然の摂理だからです。


私は科学と道徳と芸術を用いれば
宗教の悟りとは違った悟りが得られるのではないかと思っています。


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先祖を敬う

多くの宗教は先祖を敬う大切さを説いています。
なぜ先祖を敬う必要があるのか。
それは自分の起源が関わっているからです。


自分の先祖を辿り続けると最終的に宇宙の誕生まで遡ります。
親や先祖を否定する事は宇宙そのものを否定する事と同じになるのです。
自分は宇宙という器に入っているのにその器を否定することはとても危険なのです。


自分が存在している宇宙を否定すると
自然の摂理はあらゆる方法を使って否定しないよう求めてきます。
PLではみしらせという形で示してきます。


同様に自己否定をすることも自分の子供を否定することも
他人を否定することも宇宙を否定することになるのです。
否定をすると先祖の業を受け継ぐことになり
逆に先祖を敬えば先祖の徳を受け継ぐことができるようになります。



自分の先祖について認識すべきことがあります。
自分が存在するためには親が二人必要です。
親が存在するためには祖父や祖母が四人必要になります。
30年ごとに先祖の数を倍にしていくと
810年で1億3000万人を超えます。


日本は2000年以上続いてることを踏まえると
日本人はみな遠い親戚になるのです。
天皇家でさえも遠い親戚になります。
天皇陛下を敬うことも先祖を敬うことと同じになるのです。
経済を知っていれば天皇陛下が日本にどれだけの国益をもたらしているか分かるわけですが自分の起源という視点でも天皇家は重要なのです。


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煙草について

煙草は百害あって一利なしとよく言われます。
では煙草は本当に悪なのでしょうか。


悪ならJTも認可を降ろしている政府も悪ということになります。
実際はそうではありません。
JTは嗜好品を販売しているだけです。
さらにパッケージに健康を損なう恐れがあると明記しています。
政府は産業の一つとして認可しているだけです。
今の法律の範囲内では煙草そのものは決して悪では無いのです。


問題となっているのは受動喫煙や吸い殻のポイ捨てなどです。
しかし大半の喫煙者はマナーを守って吸っています。
ほんの一握りのマナーが悪い喫煙者によって煙草は悪にされているのです。
それを抜きにしても健康被害がある時点で絶対悪とする人がいます。
確かに負の側面が大きく一利も無いように見えます。


私は運良く禁煙に成功した人達から話を伺うことができました。
その方達から共通して教えられたことがあります。
「喫煙している時、充分配慮していたつもりだったが全然足りていなかった。
 禁煙してやっと気付くことができた」
その感覚は恐らく喫煙者にも非喫煙者にも分からない感覚だと思います。
喫煙し禁煙に成功した人のみが得られる感覚です。


禁煙に成功したその方達は真面目で仕事もよくできる方達でした。
そして禁煙後はさらに配慮ができる人になられていました。
このことから煙草はその方達にとって人間的に成長させた物だとも言えるのです。


煙草が絶対悪だというのなら彼らの成長を否定することになります。
煙草が無かったら彼らの人間的な成長も無かったかもしれません。


PLでも喫煙は禁止していません。
自身の健康と周囲に配慮してくださいと伝えるだけです。
私は子供の頃よそ見をしたPL会員さんが持っていた煙草が腕に当たり軽い火傷をしたことがあります。そういった経験も有り、PL会員なのになぜ煙草を吸う人がいるのか理解できませんでした。
今では煙草は禁煙できる人を成長させるための材料だと捉えています。


人によっては成長させる物であろうと健康被害がある時点で
総合的にマイナスであると考える方はいらっしゃると思います。
ですが声高に煙草は悪であると主張する必要はすでに無くなっているのです。
健康志向の高まりや税率の引き上げによって喫煙者は年々減り続けています。
喫煙者の数が大幅に増えるという流れはもう起きないはずです。
煙草の問題は解決に向かっているので後はその流れに沿うだけなのです。


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