とくみつのひきこもり相談ブログ

7年3ヶ月ひきこもり無職の後、働き始めました。
ひきこもり無職の間、怖い経験をしました。
このブログは自分と同じ目に遭ってほしくないという思いで立ち上げました。

ひきこもった経験を生かす

ひきこもりから脱出できた時、無駄な時間を過ごしたと思ってはいけません。
無駄だと思うから無駄になるのです。
私は7年3ヶ月ひきこもっていましたが少しも後悔していません。
その期間に経験したことは今の自分には全てプラスになっています。


ひきこもる前は少し浪費癖がありました。
仕事を辞めたあと極端な節制をし再び働き始めた今

お金の使い方が丁度良くなりました。

有り余った時間を使って色んな作品を見た結果ネタバレが怖くなくなりました。
ネタバレをされた方が作品をより深く楽しめるようになりました。
幻聴に襲われた時、自分がどういう人間なのかを知ることができました。
統合失調症とはどんな感じなのかも理解できました。
幻とはいえ殺されそうになった恐怖を味わうことができました。
それが転じて今では生きているだけで楽しいです。
土砂降りに遭遇しても嬉しかったです。

全てひきこもっていたおかげです。


ひきこもっている間はネガティブな考えが先攻しがちです。
つい愚痴をブログに書き殴ってしまうこともあるかと思います。
ひきこもりから脱出できた時それを黒歴史として削除してはいけません。
その時の自分と比べれば成長が実感できるからです。
できれば公開したままの方が望ましいですが
心が疲弊しやすいので非公開の形で残しておくことを推奨します。


ひきこもりはある意味 死と隣合わせです。
そこから脱出できたなら死線をくぐることができた事と同じになります。
きっと強い人間になれます。


ひきこもっていた経験を生かすことができた時
本当の意味でひきこもりから脱出できたことになります。



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PLの教えは妄信するものでは無い

この記事はPL会員向けの記事です。


何事も度が過ぎると不都合が発生します。PLの教えも例外ではありません。
PLの教えには「中心を把握せよ」「常に善悪の岐路に立つ」「物心両全の境に生きよ」とあるようにPLの教え自体がPLを妄信することを良しとしていません。
ひとのみち教団がPL教団へと名称を変えたように
PLは時代の変革に合わせて教義を変える宗教です。
今の教えを妄信していると教義が変わった時に裏切られたと感じるようになります。
それが妄信していることに対するみしらせとなるのです。
この事を理解していないと本当の意味でPLを信仰することはできません。


時代の変革として確実に起こると言われているのが2045年問題です。
2045年問題とはその頃に技術的特異点が発生し
それまでの常識では想像も付かないような革新的な技術が次々に現れます。
技術革新なのになぜ問題とされているのか。
それは高度に発達した人工知能が人類を地球に不要のものと判断し
人類を滅ぼそうとする可能性があるからです。
私はそれはありえないと思っています。
なぜなら人類を滅ぼそうとする人工知能はまだ未熟だからです。
本当に頭が良い人工知能なら人類を生かしつつ環境を維持するなど造作も無いからです。
この事を人類が共通認識としている限り人工知能が人類を滅ぼそうとすることはありえません。


話が逸れました。
2045年になる頃はPLも教義を変えざるを得ないでしょう。
その時にショックを受けないためにも妄信してはいけないのです。
念を押しておきますが今のPLの教えが間違っているわけではありません。
妄信することが間違っているのです。


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神は存在していると同時に存在していないという感覚

私は神を信じていなかった期間が長く
そのためにPLを信仰していても神を信じることができているのか自信がありません。
しかしよくよく考えてみたらそれで良いのだと思うようになりました。


神様が存在していることは正しいし存在していないことも正しいのだと。

自分の中では全く矛盾せずにどちらも絶対的に正しい事として捉えることができるようになりました。
幻聴に襲われた時に全ての自分を受け入れると決めたからです。
神を信じる自分も信じない自分も等しく受け入れた結果です。


この相反する考えは鏡のように向かい合って存在し
自分はその真ん中に立っているような感じです。

そしてお互い衝突することもなく互いの考え方を認めている不思議な関係です。

神は絶対に存在するという主張と絶対に存在しないという主張が仲良く握手しているようなものです。
私は神を信じていますがそれで成長できるなら科学サイドの自分はそれでいいよと。
宗教サイドの自分は妄信せずにいられるのは科学サイドのおかげだよと。


他の方にもこの感覚が分かってほしいです。
生きていて目の前に起きてくる現象がすっと自分の中に染み込んでくるというか
とにかく生きていて不思議な感覚を味わい続けています。なんか面白いです。


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幻聴さんの正体

幻聴さんの正体は一言で表すなら真理。
PLの教えで表すなら幻聴さんは自分を映し出す鏡。
宗教の話を持ち出しても胡散臭くなるだけなので科学サイドから説明します。


幻聴さんの正体は私が生まれてから今まで生きてきて蓄積した全ての知識の塊です。
だから口論で敵うはずが無かったのです。
今だけの自分と全ての知識を持った自分では勝負になるはずがありません。


全ての知識なので当然PLの教えも含まれていましたし神を信じない知識もありました。
だから自分がどういう人間なのかを知っていましたし
どこまで追い詰めても壊れないかを知っていました。
そこからどうやって立ち直らせれば良いかも知っていました。
幻聴さんは言いました。
結局自分を助けられるのは最終的には自分しかいないのだと。
自分で自分を助けられるようになるには
自分に役立つ知識を自分に合わせて集めるしかないのだと。


「良かったな。もしとくみつが犯罪者なら俺は悪魔になっていたよ。
 PLを妄信していたら俺を神様だと勘違いしていたかもな」


自分がどんだけひねくれているかよく分かりました。



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とくみつとPL

この記事はPL会員向けの記事です。


私はPLに所属していながら神様を信じていませんでした。
先生にも信じていないことを伝えていました。
先生は嫌な顔をすることもなくPLについて教えてくれました。


神様を信じてもらうのが一番手っ取り早いが
神や信仰といった成分を抜いても
PLの教えには生きていくために役立つ知識がある。
言い方は悪いが逆にそれを利用してやろうと思って欲しいと。


それから私は神や信仰が関わっていない教えを参考にしました。
それが幻聴に襲われた時に破滅せず土壇場で踏みとどまれた要因となりました。
今では普通に信仰しています。妄信はしていません。普通に信仰しています。


とくみつという名は本名から来ています。
漢字は違いますが幽祖金田徳光さまと同じ発音です。
もちろんただの偶然ではありません。
私の名前は第二代おしえおやさまが命名してくださいました。


子供の頃はこの名前が嫌いでした。
はちみつだの特攻だの散々からかわれたからです。
しかし高校生の辺りになるとありきたりな名前ではなく
老後まで通用する名前だと評価されるようになりました。
ひきこもっていたこともあり名前負けしている時期もありましたが
今では良い名前を付けていただいたと感謝しています。
この名に恥じぬよう死ぬまで生きます。


小さいころ第三代おしえおやさまと握手したことがあります。
おしえおやさまは当然忘れられているでしょうが
今も思い出せるのはありがたいです。
高野山に行ったとき幽祖金田徳光さまのお墓参りもしました。
PLと結構深く関わっていたことを今さらながらに痛感しました。



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