儒教的道徳は狭い
道徳は改めて勉強すると知らない道徳が多くあることに気付きます。
義務教育で教えている道徳はほんの一部にしか過ぎません。
それも初歩的な道徳で儒教的道徳しか教えていません。
儒教的道徳の代表的なものは仁義礼智です。
仁は慈愛、義は正義や義理、礼は挨拶、智は知識や法律です。
仁義は見返りを求める善行で返さない人には冷たくなります。
礼も挨拶できない人には冷たくなります。
法の道徳は全ての人が道徳を理解できるわけ無いから
法で縛るしかないという後ろ向きな道徳です。
法律そのものが問題では無く結局人による問題になります。
道徳を理解していれば法律を守るのは当たり前ですが
理解していないとバレなければ法を犯しても構わないと考えてしまいます。
儒教的道徳はそれにこだわるとすぐに限界が来ます。
ではなぜそれ以外の道徳が教育されないのかと言うと
量子論と同じで理解することが難しくなるからです。
上善は水の如しと説いても伝わりづらいです。
道徳の中には一見努力を否定しているようなものも有ります。
実際は否定していないのですがそれだけ誤解しやすくなるのです。
全ての人が道徳を理解するのは不可能だと私も思います。
しかし道徳を理解する人が増えれば社会は円滑に回るようになります。
具体例として先生に反抗的な生徒でも映画館では列に並ぶ、
そういった社会を形成していけば良いのです。
監視社会が到来し負の表現を行う人の淘汰が始まっています。
道徳は生き残る確率を上げる知識です。
理解すると世界の見え方が変わります。