忠告表現の難しさ
この記事はPL会員向けの記事です。
私はPL処世訓の「日の如く明らかに生きよ」を守れていません。
なんでも表現すると逆に不具合が起きることが有るからです。
私は昔お酒が好きな先輩に
「そんなに飲むと早死しますよ」と言い
「お前は本当につまらない奴だな」と言われました。
つまらない奴と言われたことは事実なので感情は動きませんでしたが
先輩の健康を想って言ったのに伝わらなかったことが残念でした。
お酒が好きな人に飲むなと言うのは言われた人にとっては
自分を否定されるようなもので自他祝福の精神に反してしまいます。
忠告しないと「表現せざれば悩がある」に反し
忠告すると「自他を祝福せよ」に反するという矛盾が起きてしまうのです。
私はこれについてかなり悩みました。
PLでは他人がどう思うかはその人の自由、
信念に基づいて表現したことを後悔するなと説いていますが
逆恨みされるぐらいなら最初から表現しない方が良いことになります。
忠告自体が自分の傲慢であると。
忠告はその人と良好な関係を持ち
さらにタイミングも良い時以外ではやってはいけないと思い知りました。
私は現在仕事をしていません。
会社を良くしたい、社員の皆に幸せになってほしいと想って忠告しましたが
ものの見事に失敗しました。
これ以上ここで忠告しても無駄だと悟り辞めました。
私自身の問題はやはりタイミングを考えていなかったこと、焦っていたこと、
昔つまらない奴と評されたように面白味が欠けていたことが問題です。
良い勉強になりました。
忠告の全てが失敗したわけでは無いのでこれを踏まえて次に生かします。
担当のお客さんから「丁寧な仕事だった」と感謝されたことが救いです。