幻聴に殺されそうになった話-5「迷走」
「聞こえてるって言って」
死神かもしれない幻聴さん。
(やめろ! 助けてくれ!)
人工精霊を作ったかもしれないおびえる男。
(ニートワイマシンオオサカダヨ)
僕の声を復唱し何も言わなければ実況している機械のような子供。
常に誰か喋っている。賑やかだなあ。
(早く帰ってきてくれよ!)
男が情けない声を出した。
とにかく広島の両親の所で一泊するから我慢してくれ。
(もう待てねーよ!)
明日帰るから静かにしてくれ。
(絶対だぞ! 絶対に明日帰れよ! じゃないと恨むぞ!)
分かったからもう声出さないでくださいよ。
(絶対だぞ!)
そう言ってようやく男が黙った。
「聞こえてるって言って」
幻聴さんは会話していない時はずっとこれだ。
飽きもせずよく言うなあ。はいはい聞こえてる聞こえてる。
「本当に?」
はいはい聞こえてる。
最初は恐る恐る言っていたが子供が復唱するだけだったので
こっちもテキトーに相槌を打つようになっていた。
新幹線が岡山駅に差し掛かった頃、別の異変が起きた。
それは車内アナウンスが流れてきた時だった。
『今日も、新幹線を…ブツッ』
え?
『ゴ…ニ…マ…アリガ…キ…セ…』
車内アナウンスがまともに聞き取れなくなっていた。
なんだこれ。これも幻聴さんの仕業なのか。
「だいぶ進行しているね」
何が?
「なんだと思う?」
もしかして僕の頭に脳腫瘍でもあるのか?
幻聴さんは溜め息をついた。
「もう手遅れだな。いやまだ間に合うかも?」
脳腫瘍かもしれないのか。過去10年間風邪など引いたことが無く健康には絶対の自信を持っていたが無職の間は健康診断を受けたことは一度も無かった。
やはり無職は脳に相当なストレスがかかるんだな。
「いやそうなんだけどさ……」
幻聴さんの様子が変わった。
すぐに病院でCTスキャンをしてもらった方がいいか。
「ああ……うん……」
幻聴さんもしかして焦ってる?
「焦ってねーよ」
明らかに様子が変わった。これは僕が助かりそうになって焦っているのか。
「ちっ、じゃあもうそれでいいよ」
いや待てよ。保険証を持っていない。健康保険料はちゃんと払っていたが最新の保険証は持ってきていなかった。これでは広島の病院に行けない。こっちでCTスキャンするのは諦めるか。
幻聴さんはまた溜め息をついた。
(ニートガヒロシマニツイタヨ)
新幹線が広島駅に到着した。この時も車内アナウンスはまともに聞き取れなかった。
もう日は沈んだ後だ。改札を出ると幻聴さんが不意に話しかけてきた。
「両親に無事会えるといいね」
いきなり何を言い出すんだ。
「道分かるの?」
一人で広島に来るのは今回で2回目だが多分なんとかなるだろう。
この時自分が間違いを犯していたことにまだ気付いていなかった。
駅を出ると辺りはもう真っ暗だった。路面電車に乗ろうとしたがどこにも見当たらない。あちこち工事中だ。あれ? 駅前ってこんなだったっけ。まあいいや方向は分かる。
「歩いていくの? 大丈夫?」
大丈夫大丈夫。
両親にもうすぐ会えるという安心感からか大した根拠も無く妙に楽観的になっていた。
だが大丈夫ではなかった。歩いても歩いても見たことの無い景色が続いた。
(ニートガマヨッテル)
どうしよう。完全に迷った。あっちこっち曲がったために来た道も分からなくなった。
1時間ほどさ迷った後に遠くに高架の電車が見えた。
それを目指して歩き出した。
(ニートガモドッテル)
どこかの橋を渡っている時に幻聴さんが話しかけてきた。
「これからどうするの?」
どうって両親に会うんだよ。
「もっと後のことだよ。幻のヤクザに殺されそうになって、
いたずらで110番して、いい年こいて迷子になって。
これからもずっと同じような目に遭うかもしれないんだよ?」
そんなのいやだ。
「嫌だよね? ほら、いっそこの川に飛び込んでしまえば楽になると思わない?」
いやだ。死にたくない。
「ニートが一人この世から消えたって社会には何も問題ないよ」
作りたい作品があるんだ。それを作るまでは死んでも死に切れない。
「お前の作品なんてもう誰も待ってないよ」
たとえ誰にも見向きされなかったとしても自分が生きていた証を残したいんだ。
「でもそれを作ったってどうせ働かないんだろ?
お前は無職のままでいる理由を探しているだけなんだ」
僕が死んだら両親が悲しむ。
「はあ? お前本気で言ってるの?」
当たり前だろ。子供が死んで悲しまない親がいるのか?
「無職で社会的に死んでいるお前を見て親が悲しんでいないのか?」
幻聴さんにぐうの音も出ないほどの正論を言われてしまった。
じゃあどうすればいいんだよ。問いかけたが幻聴さんは答えてくれなかった。
どうすれば……。
答えが出ないまま歩いていたら駅が見えてきた。助かった。
近くまで行き駅の名を見たら新白島駅と書いてあった。
よし、ここから広島駅へ向かえば大丈夫。切符を買おうと路線図を見た。
無い。広島駅がどこにも見当たらない。
こんなことってありえるのか? 広島市の電車は全部広島駅に行けるはずだろ?
動揺のあまり立ちすくんでしまった。
どうしようどうしようと思っていると海外から来た観光客のつぶやきが聞こえた。
「ホンドオリ?」
「ヤー」
本通り……。そうだ、本通は路面電車が走っている所だ。本通まで行けば道が分かる。本通までの切符を買った。幻聴さんが呆れたように話かけてきた。
「お前馬鹿だろ。なんで駅員に聞かないの?」
広島駅見当たらなかったし、なんだか駅員さんに悪いかなと。
「だから馬鹿なんだよ」
電車を待っている間、エスカレーターのアナウンスをただ聞いていた。
『エスカレーターで、ナ…ニエ…アンドロイド…キ…』
やはりアナウンスはもうまともに聞き取れない。つかアンドロイドってなんだ。
かろうじて聞き取れた単語もすり替わっているとか重症だな。
「その割には発狂したりしないんだね。普通ならとっくに壊れてるよ」
幻聴さんは僕がぎりぎり踏みとどまっていることが不思議なようだった。
確かにつらいよ。大変だよ。でもこんな経験なかなかできないからな。
そういう意味では貴重な経験をしてるともいえる。
「一生このままでもいいの?」
それは困るけど幻聴さんとの会話を楽しんでいる面もあるから。
「重症だな」
重症だね。でも自覚してるだけマシなんじゃないかな。
「ニートのくせに冷静だな」
電車に乗り本通へ到着すると両親がいるマンションへ歩き出した。
「なんで路面電車使わないの?」
いやもう道分かるし。
「やっぱりお前馬鹿だ」
いくら僕でもここからなら迷子にはならない。
ようやく両親がいるマンションにたどり着いた。
本来なら30分もあれば着くのに広島駅に到着してから結局2時間かかった。
つづく