とくみつのひきこもり相談ブログ

7年3ヶ月ひきこもり無職の後、働き始めました。
ひきこもり無職の間、怖い経験をしました。
このブログは自分と同じ目に遭ってほしくないという思いで立ち上げました。

自然の摂理を学ぶ

この記事はPL会員向けの記事です。


私は神を信じない立場から信じる立場になりました。
それはどういうことかを私なりに記します。


人は皆何かを信じています。
お金も国家が価値を保証し貨幣や紙幣で物々交換ができるようになっています。
それは国や構成している人を信じることから始まっています。


科学の知識も最終的には信じるか否かの話になります。
地球が丸いことや月の軌道も自分で観測して計算し確認している人は少ないです。
それも科学者を信じているからです。


開発途上国の人達は科学の分野で思考の檻に囚われている人が多いです。
しかしそれを確認することができるのも自分が先進国に居るからこそです。
先進国に居ても最先端の科学になると思考の檻に囚われる人が多くなります。


神を信じることは知ること、理解することだと思っています。
リンゴが地球の中心に引っ張られることも摂理の一つですが
それは信じるというより理解することと表現した方が近いからです。


量子の世界ではマクロのスケールでは起こり得ない不可思議な現象が多くあります。
それを受け入れられるか否かという話になっていきます。
最先端の科学は理解するというより信じるか否かの世界になっているのです。


私が神を学ぶようになったのは統合失調症の時にありえない経験をしたからです。
声が聞こえる状態は意識が脳を充分に使えていない状態です。
判断力が低下している状態で自分の頭がおかしいと気付けた、それ自体が奇跡でした。


そして声に説教され立ち直ることができました。
統合失調症の概念の無い人が同じ状態になったら神の声と断定するでしょう。
私は神の声と断定するのは思考の檻に囚われるリスクがあったので保留にしました。
声は脳が聞かせたもので無意識に学んでいたことが表面化した、
これでも説明できるからです。


なぜ神の声としなかったのに神を学ぶようになったのか。
それはその説教があまりにも理路整然としていたからです。
理路整然と説教してくれたことも何らかの物理現象であるはずです。
人間の脳はまだ秘密がある、隠された機能があると判断しました。


隠し機能やクオリアを認識する能力は宇宙が誕生した時には存在していません。
無かったものが今存在しているという不思議に摂理の妙を感じるのです。
PLではそれを神としているので理解したい=信仰となりました。


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