とくみつのひきこもり相談ブログ

7年3ヶ月ひきこもり無職の後、働き始めました。
ひきこもり無職の間、怖い経験をしました。
このブログは自分と同じ目に遭ってほしくないという思いで立ち上げました。

摂理に沿うみしらせ

この記事はPL会員向けの記事です。


私の信仰心はあまり強くありません。
強いと思考の檻に囚われるリスクが増えるからです。


信仰心に伴う行動が自然の摂理に沿っていれば
信仰心が強いほど世のため人のためになります。
しかし信仰心に伴う行動が自然の摂理に沿って無かった場合、
信仰心が強いほど不幸が広がります。
私はそれが怖いです。


信仰心が強い人はそれに伴う自身の行動が正しいのかどうか
客観的に観察できているのか疑問に思います。


例えば無差別に布教する宗教家は信仰心が強いほど強引になっていきます。
宗教アレルギー持ちの人に布教するのは嫌がらせ以外の何物でもありません。
他人にされて嫌なことはやらないという道徳に反しているのです。


無差別に布教することは信仰心に伴う行動が
自然の摂理に沿っていない典型例なのです。
教えを広めたいのであればまず道徳を伝えることです。


自然の摂理に沿っているかどうかの判断は人それぞれだと思いますが
私の場合は体が教えてくれます。


私は統合失調症の時に幻のヤクザに殺されるという恐怖を味わいました。
その時の心拍数は1分200回を超えていたと思います。
それが一晩中続いた結果、私の心臓はかなり弱くなりました。


私は負の表現をすると心臓がぎゅっと締め付けられる痛みを感じるようになりました。
なってしまったものはしようがないので受け入れましたが
逆にこれは使えると思いました。
負の表現をしているかどうかの判断ができるからです。
自然の摂理に沿わない表現をすると痛くなるので
私はこの痛みのおかげで自然の摂理に沿える考えができるようになりました。


声が聞こえなくても体は説教してくれます。
体調を崩したり失敗することがそうです。
声にならない体からのメッセージを受け取れるか。
みしらせの基本はここに有ります。


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