「自己は神の表現である」
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自然の摂理は世界を進歩発展させるために人間を生み出しました。
この処世訓は自分が人間である自覚を持つことが大切だと説いています。
この世において他の動植物と比べ人間だけにしか持ってないものが多くあります。
創意工夫する力、心。
物質の組成について言及できること。
自分が生まれる前や死後について、この宇宙が誕生する前。
余剰次元について、クオリアについて。
これら全てに言及できるのは人間だけなのです。
だから人間は何よりも尊いのです。
他の動植物はクオリアを持っていないのです。
クオリアは現在の科学では全く解明できていません。
世の物理法則はこの宇宙が誕生した時に全て生まれました。
しかしクオリアだけはこの宇宙のどの物理法則とも交わっていません。
クオリアはおそらく四次元以上の次元物理法則であると考えられます。
二次元の視点から三次元を見ようとしても想像の範疇を超えています。
それと同様に三次元の視点から四次元を見ようとしても四次元の影しか見えません。
クオリアもまた余剰次元の影と言えるのです。
この宇宙を超えた存在であるクオリアに言及できる人間はなんなのか。
この時点で人間の精神は三次元空間とは別の存在であると言えます。
三次元空間を超えたイメージができる人間は
三次元空間において神の視点を持っていると言えます。
自然の摂理は人間を生み出しました。
進歩発展させる力を与えられました。
宇宙規模の視野を持てる力も与えられました。
そして自分の肉体は三次元にあり思考と意識は同一ではありません。
ここまで知覚できると気付くことができるのは自分の意識ではなく
自分の脳、肉体が気付いているのだと理解できるようになります。
だからPLでは自分で気付くのではなく気付かされるという表現になるのです。
宇宙の流れ、本来の道に沿うようにすればそれだけ気付きやすくなるのです。