迷いながら考える
私はいつも考えすぎて表現に迷いを生んでいます。
道の理解が中途半端だからなのですが迷う理由があります。
道を理解すると他の人にも知ってほしいという欲が出てきます。
同時に理解してもらえない、道の理解は難しすぎるという考えが出てきます。
人に忠告をした時、理解されないばかりか自分を否定されたと思われる恐れもあります。
極端な例だと紛争地で平和の尊さを説いても銃で撃たれて終わりになるようなものです。
では忠告しなくても良いのかという問題が出てきます。
人の道を外れると不幸になる確率が上がります。
忠告しないのはその人を見捨てるようなものです。
仕事をしていると忠告したい、人の道を伝えたいとよく思います。
しかし失敗すれば悪い流れになってしまうので普段は何も言いません。
言えれば一番良いのですが言えないなら他の手段を考えるしかありません。
私は言わない代わりに仕事をする態度で人の道を示し続けています。
報連相と確認の徹底、入社した直後は挨拶すら無かったので
小さい声でも無理に挨拶をしていました。
普段はYシャツスラックスを着るという規定ですが
私は会社が休みの日に出勤するシフトでその日は私服を着ても良いことになっています。
しかし私はその日でもきっちり身だしなみを整えて仕事をしています。
そういった行動を続けた結果、今では挨拶も少しできるような職場になりました。
最近は怒りをぶつけ合うことも少なくなりました。
私は自分の考えが正しいとは思っていません。
絶対に正しいと思う方が危険だからです。
それでも少しでも良い方へと考え続けています。