クオリアを把握する
この記事はPL会員向けの記事です。
「中心を把握せよ」に折り畳まれている教えです。
クオリアを把握する利点は色々ありますが
まず小さな痛みは平気になります。
これが痛いというクオリアなんだなあと思うようになるからです。
クオリアの認識は思考の檻を突破した実感も得られます。
広義の意味においてもクオリアを把握することは気付く確率を上げてくれます。
その人の経験や知識や感性もクオリアの一種です。
その人にしか認識できないものは全てクオリアなのです。
私が持っているクオリアは先進国基準の科学の知識、
統合失調症、死の恐怖、信仰心、人の道などです。
信仰心というクオリアは信仰心の無い人からすれば想像外にある思考の檻です。
統合失調症もそうです。頭の内外問わず自分だけにしか聞こえない音。
頭の中ならイヤホンやヘッドホンをした状態で聞く音声と似ていると表現できますが
外からの声は脳が単語を変換してしまっているというのは分かりづらいと思います。
人の体験談を見たり聞いたりすることはその人のクオリアに触れることになります。
完全に理解する事は不可能ですが、感性と想像力によって擬似的にクオリアを得ることができます。
漫画や小説や音楽などの作品はその作者のクオリアの結晶です。
楽しむことによって気付きの種や新たなクオリアを得ることができます。
人生は自分のクオリアを表現し人のクオリアに触れることの繰り返しです。
クオリアを把握できれば生きることは痛みもありますが
本来は楽しいものであると理解できるようになります。