とくみつのひきこもり相談ブログ

7年3ヶ月ひきこもり無職の後、働き始めました。
ひきこもり無職の間、怖い経験をしました。
このブログは自分と同じ目に遭ってほしくないという思いで立ち上げました。

失敗と向き合い続ける

この記事はPL会員向けの記事です。


人間は完全ではなく失敗するもので
失敗した時にその失敗とどう向き合えるかが重要になります。


失敗した時にこんな失敗をする自分は嫌だと思うのはただの自己否定です。
どんなに嫌だと思っても失敗した事実は消えないからです。
嫌だと思えば思うほどストレスにしかならないのです。


失敗した事を忘れたり開き直るのはもっと重い自己否定です。
自分の本質や個性というものは変えられないため
同じ失敗を繰り返すようになるだけだからです。
失敗したことは受け入れ反省し対策を立てることです。


私にとって負の感情を使うことは失敗なので
色々考えてこの場合はこう思う、というのを繰り返しました。


怒りをぶつけられた時は基本的に相手を祝福しました。
心の中で「幸せになりますように、負の感情から解放されますように」と。
神に頼らない人からすれば心の中で祝福しても何も意味が無いと思われるでしょう。
この祝福は相手の為というより自分の為に行う意味が強いです。
感謝した瞬間や祝福した瞬間は負の状態では無いからです。


それでもきついものはきつく、さらに考えていたことがこれです。
「善悪の岐路に立て、統合失調症も結果的に自分の成長につながった。
 この経験もきっと未来の自分の糧になる」
それでなんとか乗り越えて今の状態が有ります。
少なくとも働くことにおいてきつさのピークは過ぎました。


職場の人達もお客さんも道を知っているわけではありません。
知ってほしいと思っても分からせてやろうと思うことは逆に道に沿いません。
分からせてやろうと思うことも負の感情でありすでに失敗していて
別の失敗をする確率を上げていくだけだからです。


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道に沿えば確率が変わる

量子論を知るとこの世は確率で左右されていると分かります。


私は社会復帰して普通に働けるようになるまで半年ほどかかりました。
その間ミスも何回か有り落ち込んだこともあります。
しかしそれ以上に周りの方々がフォローしてくれたのが有り難かったです。


その過程で気付いたことはこれだけフォローしてくれるのは
道に沿っているからだと分かりました。


能力がほぼ同じ人が二人いたとして
片方はいつも感謝をしている、もう片方はいつも怒っている。
ミスをした時どちらがフォローされる確率が高くなるか。
考えてみれば単純なことでした。
負の表現を行う人は失敗した時に深みにはまりやすくなるのです。


私は最近かなり不本意な失敗をしてしまい
昔の私なら黙っていた案件でしたが正直に報告しました。
お客さんは怒ることも無く改めて指示をいただきました。


引き継いだ直後なら間違いなく怒られていた事で
お客さんの反応が全体的に柔らかくなりました。
これも道に沿っていたからです。


私は怒りをぶつけられても一切跳ね返さないようにしていました。
心の中でも不足を抱いたらそれは相手に伝わると思い
とにかく穏やかな状態を続けようとしていました。
その結果職場の人達もお客さんも
私に怒りをぶつける人は一人もいなくなりました。


もちろんお客さんの優しさに甘えては駄目だと分かっています。
それでも常に怒っている状態では無くなったのは良い事のはずです。


不足を抱くと抱いた分だけ失敗する確率が高くなるので
それをいかに断ち切るかが大切です。


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無形の恵み

この記事はPL会員向けの記事です。


有形無形の恵みに感謝するのは宗教家の基本ですが
無形の恵みを認識できている人はあまり多くないと感じています。


太陽が地球を照らし温めていることや雨が降り植物が育つこと、
空気が存在し呼吸ができること、これらは有形の恵みです。
対して無形の恵みは今日も交通事故に遭わなかったとか
人の縁や気付きそのものです。


私の場合は脳が使えない状態でおかしいのは私の脳だと判断できたこと、
もっと踏み込むと自分の軸を自我に置いていたことが間違いだったと
正しい判断ができたことが無形の恵みです。


ひらめきや気付きというものは意識が気付いているのではありません。
脳が集めた知識から確率的に発生させているのです。
自分の軸というものは意識では無く体に有ります。
多くの人は自我に自分の軸を置いていますが
それは思考の檻に囚われやすくなるだけです。


気付く確率を上げるには自然の摂理に沿うことです。
健康に気を配ることを筆頭に感謝することや負の感情を使わないことです。
怒ると視野が狭くなりやすいなら怒らないことを続けていれば
視野が広くなりやすいという単純な話なのです。


気付くという無形の恵みに感謝できるようになると
さらに多くのことを気付けるようになります。


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合わせ鏡の危険性

古来より鏡には不思議な力が有るとされ様々な逸話が有ります。
合わせ鏡は不吉とされ霊道が開くとか
この世のものでは無い物が見えてしまうというオカルトな話がてんこ盛りです。
合わせ鏡の危険性については今の科学の知識でも充分推測できます。


視覚情報は目を通った時に電気信号に変換され脳に届きます。
脳は電気信号のやり取りで映像を捉えます。
鏡は多くの光子を反射します。
鏡はゲシュタルト崩壊のような暗示や催眠を引き起こしやすいです。


以上を踏まえると合わせ鏡の鏡像を見るのは
脳がエラーを引き起こしやすくなると考えられます。
合わせ鏡の映像データは膨大で処理しきれなくなるのです。
処理しきれなくなった映像データは見えなくなるか
何か別のものに変換されて見えてしまうと考えられます。


脳はお酒や睡眠不足でもエラーが起きやすくなりますが
思い込みによっても統合失調症のような精神病になります。


合わせ鏡の逸話を信じている人は
処理しきれなくなった映像データと思い込みによって
この世のものでは無いものを見ていると勘違いしてしまうのです。
オカルトを否定している人でも合わせ鏡の危険性は分かると思います。


4枚の鏡を四方に置き中心にロウソクを置くという行為は特に危険度が増します。
ロウソクの強い光と膨大な映像データによって
脳はオーバーフローを引き起こしやすくなるでしょう。


もちろん霊道が開くという話を否定しているわけではありません。
ただ科学的に見ても合わせ鏡は危険だと推測できます。
肯定している人でも否定している人でも合わせ鏡はやらない方が良いです。
精神病を引き起こしやすくなるだけだからです。


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人を育てる

人を育てたことが無い私が記すのも変な話ですが
親から育てられた経験と気付きから思うことが有ります。


子供を育てる時に何でも子供の望むままに与えたらどうなるか。
ちょっとでも思い通りにいかないと癇癪を起こす
我が儘な人間に育ちやすくなると思います。


逆に厳しくしつけ続けたらどうなるか。
何をやっても無駄だと悟るようになり無気力な人間に育ちやすくなると思います。


人の道から外れたら叱り、何かを成し遂げたらちゃんと褒めてあげる。
即かず離れずの精神で育てる事が大事だと思います。


そして子供が何かをやりたいと言ってきた場合
例えば野球をやりたいとかピアノを習いたいと言ったなら
出来る限り応えてあげてほしいです。


親の押し付けで何かをやらせるより子供の感性が成長しやすいからです。
自分でやり始めた事だから中途半端にならないようにと
念を押して納得のいくまでやらせてあげてほしいです。


私は親にピアノを習いたいとお願いして5年間習うことができました。
その時に培った感性は今でも大切な財産になっています。
ピアノを習わせてくれたことは本当に感謝しています。


心残りも有ります。
親も一人の人間で完全ではなく未熟な部分があると分かっています。
それでも人の道について根気良く伝えて欲しかったです。
それを怠ったから兄は亡くなったと。


でも親にそれを伝えると傷付くだけなので言えません。
自らの過ちを全て受け入れないと気付ける人になれないと分かっているだけに
どうしたものかと考える日々が続きます。


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