とくみつのひきこもり相談ブログ

7年3ヶ月ひきこもり無職の後、働き始めました。
ひきこもり無職の間、怖い経験をしました。
このブログは自分と同じ目に遭ってほしくないという思いで立ち上げました。

クオリアを把握する

この記事はPL会員向けの記事です。


「中心を把握せよ」に折り畳まれている教えです。


クオリアを把握する利点は色々ありますが
まず小さな痛みは平気になります。
これが痛いというクオリアなんだなあと思うようになるからです。
クオリアの認識は思考の檻を突破した実感も得られます。


広義の意味においてもクオリアを把握することは気付く確率を上げてくれます。
その人の経験や知識や感性もクオリアの一種です。
その人にしか認識できないものは全てクオリアなのです。


私が持っているクオリアは先進国基準の科学の知識、
統合失調症、死の恐怖、信仰心、人の道などです。
信仰心というクオリアは信仰心の無い人からすれば想像外にある思考の檻です。
統合失調症もそうです。頭の内外問わず自分だけにしか聞こえない音。
頭の中ならイヤホンやヘッドホンをした状態で聞く音声と似ていると表現できますが
外からの声は脳が単語を変換してしまっているというのは分かりづらいと思います。


人の体験談を見たり聞いたりすることはその人のクオリアに触れることになります。
完全に理解する事は不可能ですが、感性と想像力によって擬似的にクオリアを得ることができます。
漫画や小説や音楽などの作品はその作者のクオリアの結晶です。
楽しむことによって気付きの種や新たなクオリアを得ることができます。


人生は自分のクオリアを表現し人のクオリアに触れることの繰り返しです。
クオリアを把握できれば生きることは痛みもありますが
本来は楽しいものであると理解できるようになります。


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心の栄養

体に栄養を与えないと壊れやすくなるように心も栄養が必要です。
体を健康にする必要が分かるなら心の健康も大事だと気付くはずです。


いくら体を鍛えても心を鍛えなければあまり意味がありません。
体だけ鍛えているとそこで心と体の不一致が起きやすくなります。
体が健康でも精神病になってしまったら体もすぐに壊れます。


逆に体が弱くても心が健康であれば弱いなりに健康を保つことができます。
年を重ねると体は弱くなっていく一方なので心の健康がより重要になっていきます。


心に栄養を与えるには何か趣味を持ち楽しむことです。
作品に触れる時はなるべく楽しもうとすることです。
作品の粗探しをするとその作品から心の栄養を摂れなくなってしまいます。
負の感情を使うと心から栄養が逃げていきます。


体を鍛えて心も鍛える。体に栄養を与えて心にも栄養を与える。
心に栄養を与えて感性を磨けば気付きやひらめきを得られやすくなります。


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気付く条件

私が道に沿おうとするのは体のためです。
道に沿わないと体が壊れるのでそれが嫌だから道に沿おうとしています。
職場でも私は真面目な人間だと評されていますが
真面目だからでは無く体を無駄に壊したくないだけなのです。


道に気付くことができたのはもちろん運が良かったのですが
運だけで気付くことはまず無いと思います。
気付くための条件を満たした上で運が必要になります。


私の場合は無職の時でも心を腐らせないように努めていました。
無職になったのも自分で選んだことだから負の感情を募らせるのは間違いだと。
それでも最終的に心を腐らせて統合失調症になってしまいましたが
それまでに磨いた感性と知識が私を助けてくれました。


私は神について信じていませんでしたが
他の人の信仰心を否定することはありませんでした。
むしろ羨ましく思っていました。
あんな風に信仰心があればもう少しましな人生が送れただろうと。


私は自分でもひねくれてると思いますがただ納得したかっただけなのです。
宗教に納得できませんでした。
ブッダは清貧を貫いたのに弟子に当たる人達はなぜお布施で贅沢するのだろうかとか。


だから一時期科学の知識を集めまくりました。
科学は納得させてくれるからです。
しかしM理論とクオリアの概念まで行き着いた時
科学も完全に納得できるものでは無いと気付きました。


私は無職の時に色んな作品を観ていました。
私はネタバレを一切気にしない人間だったので
積極的にネタバレを見に行ったりもしていました。
逆にネタバレを気にしないからこそ真理を知っても精神を保てたと気付きました。


私の経験から来る気付きに必要な条件は
健康に気を配ること、
作品を純粋に楽しもうとすること、
ネタバレを一切気にしないこと、
納得できないなら納得できるまで知ろうとすることを止めないこと、
思考の檻とクオリアと確率と無意識を認識することだと思います。


宗教については一生理解できないだろうと思っていただけに
人生何が起こるか分からず不思議で面白いものです。


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道に沿う難しさ

この記事はPL会員向けの記事です。


即かず離れずのバランスを保つのは難しく
道に沿うには経験と感性が必要です。
バランスを保つことが難しい点は多いです。


よくベストを尽くすことが美点とされますが
全力を出した結果体を壊した場合、無理をし過ぎたからだと言われます。
全力を出せと言ったじゃないかと思いたくなりますし
体を壊す手前までベストを尽くせという
普通に考えて判断できないことを目指さなくてはなりません。


怒ってはいけないと言われても我慢をしてはいけないとか
道を知ってほしいと思っても分からせてやろうと思う時点で道から外れます。
道に気付いた時これは難しすぎると思いました。


ここで過去の失敗の経験が生きてきます。
夜更かしをすると頭が働かなくなったとか
お酒を飲みすぎると二日酔いになったとか
食事を抜いた時に低血糖になったとか色々有ります。
ちゃんと寝よう、お酒は控えよう、ちゃんと食事を摂ろう、
そう思えることが無形の恵みで実際に行動すれば道に沿うことになります。


失敗するたびにきちんと反省することも誠を込めることになります。
一切に誠を込めることは失敗を反省することから始まります。


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無意識のストレス

生きていると様々なストレスに遭います。
思い通りに行かなかったとか負の感情をぶつけられたなど
有意識のストレスは分かりやすいストレスです。


対して無意識のストレスは意識が認識していないために
なぜ調子が悪くなるのか分からないという怖さがあります。
可聴域を超えた超音波、建て付けの悪い家で平衡感覚が狂う、
ハウスダストや塗料が揮発して知らずに吸うなど色々あります。


この無意識のストレスという概念も
知っているかいないかで生存確率が変わっていきます。


また階段を例に挙げますが手すりを使わないと
使っている時より無意識のストレスが発生します。
階段は危険な場所であると認識できているなら
手すりの無い階段や手すりを掴めない位置でも気を付けるようになります。


日本とアメリカを比べると分かりやすい例が銃の存在です。
アメリカは一般人でも銃を所持しています。
どんなに治安が良くても銃が有るというだけで
無意識のストレスが発生し続けるのです。


この無意識のストレスは自覚が無い上に長年に渡って受け続けるため
どうしても寿命に影響を与えます。
知っているなら自分の寿命が削れるのにも納得できますが
多くの人はこの概念を持っていないために
自分の寿命に納得できないまま死を迎えます。


この世を楽しむには知ろうとすることを止めないことと
真偽に関わらず情報に振り回されないことです。
偽の情報はもちろん本当の情報であってもそれに振り回されないことです。


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