とくみつのひきこもり相談ブログ

7年3ヶ月ひきこもり無職の後、働き始めました。
ひきこもり無職の間、怖い経験をしました。
このブログは自分と同じ目に遭ってほしくないという思いで立ち上げました。

お布施で生活する危険性

この記事はPL会員向けの記事です。


お布施で贅沢をする宗教家は
お布施で生活する危険性を理解しているのだろうかと思います。


そもそもお布施は神に対する捧げ物で
それで生活するのは横から掠め取るようなものです。
神はお金を使えないから代わりに使う。そこまでは良いです。
しかしお布施には信者の蓄財の罪や業も乗っています。
お布施で生活するのは信者の業も引き受けることになります。


だから一般の信者よりも強い感謝を持たないと
不都合な出来事が起きる確率が上がるだけなのです。
お布施で贅沢をする宗教家は神に頼らない視点からだと
信仰心を持っていないと見なされても仕方がないと思うべきです。


お布施で生活をする危険性を理解していないと
自分は良くても子孫が我が儘に育ちやすくなり
最終的には富岡八幡宮のような事件が起きてしまいます。
そしてまた宗教離れが進み道徳を知る人も減り続けるだけです。


お布施で生活をするなという話では無く
お布施で生活する危険性を理解していただきたいという話です。


ではお布施で贅沢をすることは悪なのかというと別の問題が浮上します。
日本は資本主義のシステムのため
資本主義の視点からだとお金を使う方が良いことになります。


宗教建築は奇抜なデザインが多く建設費も嵩みます。
建設業からすると宗教は良いお客さんになります。
高級車を乗り回す宗教家もディーラーからは良いお客さんになります。
立派な袈裟を着るお坊さんも服飾業からは良いお客さんになります。


お布施で贅沢をするなというと
宗教家を顧客に持つ人達全員に死ねと言うようなものです。


資本主義の視点から見ると
タンス預金や内部留保、タックスヘイブンなどで
お金を回さないことの方が悪になります。


宗教法人に税金をかけると小さな神社や
わずかなお布施で成り立っている宗教が壊滅し
大きな宗教やカルトしか残らなくなります。


この世は多くのことが複雑に絡み合っていて
真の正解というものが存在していません。
ただ世に還元しない宗教はブラック企業と並び
憎悪の対象でしかないことを知っていただきたいです。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ パーフェクトリバティー教団へ
にほんブログ村

私という鏡

考の檻 岐路に立ち知る 今世は 松葉菊さえ 人は知らざる
(相対の岐路に立ち世の中を見ると思考の檻に囚われていると知る。
 その証拠に松葉菊のような身近にある植物さえ人類はよく分かっていない)


2017年中に職場で伝えたことです。


諸行無常は悪い意味ばかりではありません。
変化が無いということは停滞しているということ。
停滞しているより変化がある方が良いに決まっています。


感性を磨けばミスが減ります。
だから作品を沢山見て楽しんでください。


挨拶は大事です。


着ている服、机、パソコン、ペンの一本にいたるまで
身の周りに有るもの全てに人が関わっていることを分かってください。


自分の体に感謝してください。
心臓が動いているのも寝ている時に窒息しないのも
食べたものを自動で消化吸収してくれるのも全て体のおかげです。


人を悪く言わないでください。
その人のためでは無く自分のためになりません。
それは自分の歴史を汚すことと同じだからです。


何でも良いので趣味を持ってください。
その趣味の知識がいつか自分を助けます。


痛みを感じることは本来ありがたいことです。
痛みを感じなければすぐに骨折しますし
内臓が壊れても死ぬまで気付け無いからです。


ストレスチェックテストは心の健康診断です。
嘘を吐かず正直に答えてください。


伝えられたことはこれだけですが何も言えないよりはマシです。
道を知る者として普通では無い鏡を目指します。
怒りを怒りで跳ね返すことが普通の鏡なら
私は道徳を跳ね返す鏡になりたいです。


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

緩やかな自殺者達

この記事はPL会員向けの記事です。


自然の摂理に最も反することは殺人や自殺です。
自殺なんてしないという人が大半かと思いますが緩やかな自殺者は大勢います。


暴飲暴食をする人を筆頭に負の生活習慣を行っている人は
全員緩やかな自殺者なのです。
悪口を言わずにいられない人や怒りっぽい人も同様です。
悪意を振りまけば自分にも向かって来ますし
悪意を振りまくこと自体自分の体は嫌がります。


テロリストや死の商人も緩やかな自殺者です。
自分が殺めた人の中には自分の寿命を伸ばす可能性を持った人もいます。
可能性は低いですがゼロではありません。
結局彼らは自分の寿命を自分で縮めていることに気付いていないのです。


ここまで気付くとPL処世訓の
「世界平和の為の一切である」
という処世訓が理解できるようになります。


負の表現を行う人達は平均寿命が短くなります。
負の表現を行わない人達はそれより平均寿命が長くなります。
負の表現を行う人達はいずれ淘汰される運命にあるということです。


だから道を知っている人は道を示し続けるだけで良いのです。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ パーフェクトリバティー教団へ
にほんブログ村

自然に努力

技術や知識を身に付けるためには練習や勉強といった努力が必要ですが
大抵努力はつらいものとして認識されています。
私は過去を振り返った時、自然に身に付けていた知識や技術があり
それも一種の努力だと気付きました。


私は高校一年生のころ兄から小説を勧められ読み始めましたが
漢字がほとんど読めませんでした。
しかし内容が面白かったので漢和辞典を片手に読みました。
読めない漢字が出てきたらすぐに意味と読み方を調べていました。
それから読めない漢字が読めるようになることが楽しくなりました。
その結果高校二年生になる頃には新聞を普通に読めるようになっていました。


私はゲームが好きでジャンルを問わず色々遊んでいました。
あるシューティングゲームに出会いそのゲームをかなりやりこみました。
そのゲームは難しく最初はクリアできるとは全く思っていませんでした。
それでも面白かったので遊び続けていたらクリアできました。
やり始めてからクリアまで一年と半年経過していました。


漢字を読めるようになった事も難しいゲームをクリアできた事も
どちらも楽しんでいたからできたことでした。
そして漢字を読めたから知識の理解が早くなりました。
ゲームが上手くなったから今の仕事もすぐ覚えることができました。


趣味を持つとその趣味を楽しむために自然に努力できるようになります。
その自然の努力が自分を助ける確率を上げることになります。


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

判断基準を持つ

生きていると様々な場面で選択を迫られますが
判断基準を持っているかどうかで人生は変わります。
基準を持っていないと迷う時間が長くなり
迷った時間だけ人生が無駄になります。


じっくり考えることはもちろん大事です。
選んだ方が間違っていたらと思うと慎重にならざるを得ません。


判断基準は過去の経験や失敗から形成されますが
先人の知恵を学べば未来の失敗を防ぐことができます。
先人が残してくれた処世訓というものは
判断基準を形成するのに大いに役に立ちます。


自分に合った処世訓を見つけたら
後はその処世訓に沿っていれば最悪の事態にはまずなりません。
私の場合はもちろんPL処世訓です。
命を救ってくれた知識なので迷わず使うことができています。


判断基準は処世訓だけでなく尊敬する人を参考にしたり
座右の銘を持つことでも形成することができます。


判断基準を持った後、その選択が最善である必要はありません。
何が何でも最善の選択をしようとすると何もできなくなりますし
結果に後悔しやすくなります。
そもそも価値観は時代によって変わります。
最善だと思ってやったことが時代が変わったために
結果として良くなかったことも出てきます。


比較的ちょっと良い方へと向かおうとすることが
今の時代では無難に生きる術だと思います。


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村