とくみつのひきこもり相談ブログ

7年3ヶ月ひきこもり無職の後、働き始めました。
ひきこもり無職の間、怖い経験をしました。
このブログは自分と同じ目に遭ってほしくないという思いで立ち上げました。

神の声が聞こえるのは統合失調症と本質的に同じ

この記事はPL会員向けの記事です。


神の声を聞いている人達はそこで思考停止しているように思います。
声が聞こえている時に体の状態が医学的にどうなっているのか考えた事があるのだろうかと思います。
私自身の経験と知識から推測すると
それはポジティブな統合失調症であると言えます。


柔軟な考え方ができる人ならネガティブな統合失調症が有るなら
逆のポジティブな統合失調症も有ると考えられるはずです。
そして本質的には同じであるということです。


ポジティブな統合失調症は発酵食品みたいなものです。
腐敗した食品と発酵食品は人間にとって有用であるか無いかの違いだけで醸すという点において本質的には同じです。
ポジティブな統合失調症も本質的には普通の統合失調症と同じということです。


普通の統合失調症は頭の内外に関わらず
自分を責める言葉が延々と聞こえます。
それに対しポジティブな統合失調症は
持っている知識を整理して聞かせてくれます。


ポジティブな統合失調症が目立たないのは
その気になれば日常生活を問題無く送れるからです。
普通の統合失調症と違い治療の必要が無いのです。
そしてその多くが宗教家になります。
多種多様な宗教が存在している理由がこれです。


私が声を聞くのを止めたのは本質的に統合失調症と同じであることが引っかかったからです。
長い間統合失調症だと脳が萎縮してしまうのは医学的に知られています。
ポジティブな統合失調症も脳が萎縮するリスクが有ると考えました。
実際自分で考えようとすることが少なくなるので
ポジティブな統合失調症も恐らく脳が萎縮すると思います。
治療が必要では無いため研究している医者もいません。
リスクが有る以上聞かない方が良いと私の体は判断しました。


神の声が聞こえていることを否定したいわけではありません。
その声は紛れもなく神の声です。
ただ脳にかかる負荷が未知数なので控えた方が良いと考えただけです。
体の声と会話しなくても人間は気付くことができます。
その気付きで充分なのです。


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世界は大海、人は一滴の水

この記事はPL会員向けの記事です。


私は死について色々考えていましたが
死んでも無にはならないと思うようになりました。


本当に無になるのなら死んだと同時に
宇宙の外に放り出されなければ無になったとは言えません。
実際は死んだ直後は肉体も残りますし何らかの作品や思想も残ります。
死んだら思考が停止する、世界を認識できなければ無と同じ。
これは我執に囚われているからそう見えるだけで
自分が生きた証は何らかの形で残ってしまうのです。


この宇宙という器の中で生まれたのなら死んでもこの宇宙に帰るだけです。
宇宙と混ざり合って一体になるだけです。
「世界は大海、人は一滴の水」ということです。
海に水を垂らすと混ざり合って外からはどこに在るのか確認はできません。
しかし消えて無くなってしまうわけではありません。人の死も同じです。


ここからは仮説ですが人の意識は死を迎えると
宇宙と混ざり合って一体になるのではと考えました。
道に沿った意識なら宇宙と一体になることも楽ですが
道に沿っていない意識は無理矢理摂理に沿うようにされるため
苦痛を伴いながら一体になるのではと思いました。
それが宗教で言う地獄なんじゃないかと。


もちろん仮説ですし証明のしようもありません。
死ぬと量子テレポートによって意識が別の世界に転送される
みたいな仮説も存在していますがそれは無理が有り過ぎると思います。


生きている枠内で考えるなら
最期は穏やかに死を迎えることを目標に頑張ることが良さそうです。


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事故は危険行動をしている人達全員の責任

ハインリッヒの法則を理解し道徳の知識を得ると
ハインリッヒの法則の恐ろしさが分かるようになります。
世の中には危険行動をしている人が大勢いますが
そういう方々はその行動の本質を知ろうとせず思考の檻に囚われています。


危険行動をしている人は自分だけは大丈夫と思っている場合がほとんどです。
確かに普通は大丈夫です。
しかしそういう人が300人いると1人は確実に事故を引き起こします。
それは事故を引き起こす片棒を担いでいるようなものです。
事故を引き起こすグループに所属しているということです。


死亡事故が起きた場合、間接的な人殺しになってしまうのです。
何を馬鹿なと思われるでしょうが統計は嘘を吐きません。
昨年の交通事故の死者数は3700人でした。
どんなに健康であっても事故で死んでしまう人が大勢いるのです。
これは危険行動をしている人達全員の責任なのです。


そして風呂場での水死は14000人にも及びます。
これは古い常識を捨てられないからです。
心臓に疾患がある人は肩まで浸かることを禁止されています。
心臓に余計な負荷がかかり死亡リスクが高まるからです。
では健康な人なら問題無いかというとそんなわけありません。
健康であろうと肩まで浸かったら心臓に悪いのです。


芯まで温まらないと入浴した気にならないというのは自分勝手な考えです。
芯まで温まった状態こそ自律神経が乱れている状態だからです。
水死するリスクを高め風邪を引きやすくなるだけです。


医者の常識が一般に浸透していないことは沢山あります。
情報は膨大に有るので道に沿った情報を得るのは難しいです。
しかし道に沿った情報は確実に有るので
感性を磨いて有用な情報を得ていただきたいです。


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承認欲求とブラック企業

人間の本質の一つに承認欲求が有ります。
承認欲求が強すぎると自分を粉飾したり過激な行動を取ったりします。
この承認欲求は何のために有るのかと言うと社会を作るためです。


人間は社会に属していないとストレスを感じるようになっています。
それも社会を形成するためです。
人のために行動し感謝された時に承認欲求は満たされます。
社会から必要とされていると感じた時に安心できるのです。


ブラック企業はこれを悪用しています。
辞めたらもう二度とまともに働けないだろうとか
忙しいのに辞めたらみんな困る、
みんなに迷惑をかけるのかと人間の本質を突いてきます。


ひきこもりの相対は労働者全員では無くブラック企業です。
過労死や過労自殺があるたびに社会復帰ができなくなってしまうのです。
働くことが実際よりも怖く見えてしまうのです。
潜在的な経済損失を引き起こしているのがブラック企業なのです。
ブラック企業をどうにかしない限りひきこもり問題も解決しません。


ブラック企業はハインリッヒの法則を知りません。道徳を知りません。
人材を育てるコストも分かっていません。大きな知識の穴が有るのです。
まともな企業の方々は大きな知識の穴が開いているブラック企業に負けないでいただきたいです。


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PL処世訓継の変更

この記事はPL会員向けの記事です。
作った後も色々気付いたことがあるのでそれに合わせて変更します。


変更点
自己は全の表現である → 自己は摂理の表現である
一切を全に依る → 一切を摂理に依る
鏡は全を映す → 道を表現する鏡となる
停滞は後退である → 一切は転化する
末端を把握する → クオリアを把握する
常に白紙の心で臨む → 常に相対の岐路に立つ
自分勝手に生きず、創意工夫できる自由に生きる →
思考の檻の外に真の自由が在る


継処世訓はいつでも好きな時に変えられるのが強みです。
間違っていようと何をしようと上に原処世訓があるので気楽に変えられます。


私の座右の銘は「常に善悪の岐路に立つ」です。
なぜ上位処世訓である「人生は芸術である」では無いのかと言うと
この処世訓は幼いころ最初に疑問を抱いた処世訓であり、
命を救ってくれた処世訓であり、一番最初に理解できた処世訓だからです。
私にとっては「人生は芸術である」と同等なのです。


私はPL処世訓に洗脳されています。
洗脳されている自覚を持ち積極的に洗脳されに行ってます。
負の表現に洗脳されるよりマシだからです。


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