とくみつのひきこもり相談ブログ

7年3ヶ月ひきこもり無職の後、働き始めました。
ひきこもり無職の間、怖い経験をしました。
このブログは自分と同じ目に遭ってほしくないという思いで立ち上げました。

心臓

入浴時に肩まで浸かるのは危険だと以前に記しましたが
なぜ危険なのか具体的に記します。


湯船に浸かると体温が上昇するため
熱を逃がすため血管を広げようと心臓が頑張ります。
しかし肩まで浸かっていると水圧のため
思うように血管を広げることができず
心臓はもっと頑張るようになります。


そして慣れた後に湯船から上がると
今度は水圧が無くなりそれに伴い急激に血圧が下がるので
立ちくらみや失神が起きやすくなります。


この一連の流れで自律神経が混乱し免疫力が低下するのです。
半身浴なら心臓の負荷が減り心臓の寿命を伸ばすことができます。


もう一つウォーキングは健康に良いとされていますが
それは心臓の補助になるからです。


足は第二の心臓と呼ばれていますが
その理由は足の静脈に逆止弁が有るからです。
この逆止弁のおかげで立ちくらみや貧血が起こりにくくなっています。
歩くとこの逆止弁が働き血液の循環が良くなるのです。


心臓は活発に働いている臓器なので
適度に歩いて鍛え入浴時の負荷を減らしてやれば
健康体である時間が長くなります。


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信仰心の柱は物理法則

この記事はPL会員向けの記事です。


私の信仰心の柱は二つの要素で成り立っています。
一つは統合失調症の時に体が説教してくれたこと、
発症してから解決に至るまでの一連の流れが出来すぎていたからです。
もう一つは物理法則そのものに神性を感じたからです。


また絶対零度を例に挙げます。
人類は絶対零度をほんのわずかですが突破しました。
なぜ突破できたのかは突破できる余地が有ったからで
そういう物理法則が存在していたからです。
もし法則が存在していないなら突破することは不可能です。


ではその法則はいつから存在しているのかというと宇宙が誕生した時です。
このことから一切の物理法則は宇宙が誕生した時に全て成立していることが分かります。


物理法則は膨大な数が在りますがここで気付かなければならないのは
全ての物理法則は調和の元に存在しているということです。
もしたった一つでもバランスを崩す物理法則が在ったなら
それが原因で宇宙は崩壊し消滅します。


もう一つ気付かなければならないのは
まだ発見されていない物理法則も膨大に在るということです。
発見されていない物理法則も含めて調和が取れている、
それも含めて一切の物理法則は宇宙が誕生した時に全て成立している、
ここに人智が及ばない途方もない何かを感じるのです。


人間の意識を発生させている物理法則も宇宙の調和の中に在ります。
物理法則そのものを考えると畏怖を抱かずにはいられないのです。


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自我に囚われること自体が自己否定

人は自分の心を最重要なものと位置づけしたがります。
感情の中心であり喜びや苦痛を味わうものであり
創意工夫する力を持っているからです。


死ぬと無になると考えている人は自分の意識を中心にしています。
意識と記憶が停止したらもう自分では無いからと。


意識が停止した自分は自分では無いとすることは思考の檻です。
なぜなら睡眠時の自分も意識が停止しているからです。
心こそが自分としてしまうと睡眠時の自分を否定することになるのです。


睡眠は大事です。
体は睡眠時にできる限りのメンテナンスをしています。
それは自我にはできないことです。


自我に囚われている人ほど仕事で徹夜したり暴飲暴食をしたりします。
体が在り活動できることがどれほどありがたいか分かっていないのです。


自分の中心は体に在ることを認識し体に感謝しながら生きれば
気付く前よりは体の状態が良くなります。


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PL処世訓について - 5

この記事はPL会員向けの記事です。
PL処世訓は初見では分かりづらく誤解しやすいものが有ります。


「人は平等である」は貧富の差があるから間違っていると。
この処世訓には人は創意工夫ができる、人は皆違う個性を持っている、
その人にしか表現できないことがある、その人にしかできない芸術が在る、
芸術する力は等しく与えられている、
だから人は平等である、という意味が込められています。


貧富の差が有っても表現できることは有り
お金が無いなら無いなりに芸術すれば良く、
お金が有るなら有るなりに芸術しなければならないのです。
お金を貯め込み世のため人のために使わないのは芸術できてないのです。


「常に善悪の岐路に立つ」は善だけでは駄目なのかと思う人がいます。
これは布教に熱心な信者が陥りがちなことです。
布教に熱心な信者は心の底からの善意で布教しようとします。
しかし宗教に頼らない人からすると迷惑極まりないのです。
善のみに偏っているから道徳から外れてしまうのです。
善悪の枠を超えた視点を持たないと善のつもりが悪になってしまうのです。


「真の自由に生きよ」は自分勝手に生きても良いのかと捉える方がいます。
人が皆自分勝手に生きたら社会は破綻します。
だから真の自由を得るには調和を保つことから始めると気付きます。


自我に囚われてそれが不自由を生み出していることに気付いていない人が多いです。
例えるなら目隠ししながら生きているようなもの、
逆立ちしながら生きているようなもの、
後ろ手に縛られながら生きているようなものなのです。


自我に囚われた思考の檻とはそれぐらい不自由な精神状態なのです。
真の自由はその不自由な精神から解放された状態を指しています。


PL処世訓は奥が深いので会員さんには少しずつで良いので理解を進めていただきたいです。


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執着すると苦痛が大きくなる

1億円の資産を持っていたとします。
その状態で命が尽きると1億円を失うことになります。
持っている額が多ければ多いほど失う額も多くなります。


タックスヘイブンを利用している人達は
それだけお金に執着している人ということですが
死を迎える時にお金を失う苦痛を増やしているだけ
ということに気付いていないのです。
使い切れないほどのお金を持っている人は不幸なのです。


大きすぎる豪邸を持つこともそうです。
スーパーカーを何十台も所持することもそうです。
失うものを大きくするために生きている人が後を絶ちません。


コレクションも自分の感性を磨くためならまだ良いです。
集めることが目的になると後の苦痛を増やすだけになります。


執着しすぎるとろくなことになりません。
足るを知って少しずつでも向上していった方が人生を楽しめます。


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