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前の記事でバチが当たれと思うと
自分にバチが当たるようになることについての補足です。
なぜバチが当たれと思ってはいけないのか。
人の不幸を願うことになるだけでなく他にも理由があります。
バチを当てるかどうかは自然の摂理が決めることであって
一介の人間が決めて良いものでは無いからです。
それを知っていながらバチが当たれと思う時点で道を間違えることになるのです。
もう一つの理由はなぜ道端に空き缶が落ちていたのかについて
想像が及んでいない部分があるからです。
捨てた人間がいるからと考えただけでは足りないのです。
空き缶を捨てた人にそこに捨てる意図が無かった場合もあるということです。
例えばゴミ箱が一杯だった場合、ゴミ箱のそばに置いて放置し
風が吹いて転がってきた場合もありえるわけです。
その場合は自然の摂理が関わってきているので
それに対しバチが当たれと思うのは危険だということです。
空き缶については捨てた人間に不足を思う時点で
心の無駄遣いをしていることになるのです。
そういったことを防ぐためにPLでは
道行く人やすれ違った人に分け隔てなく祝福しなさいと説いているのです。
宗教家が肝に銘じなければいけないことは
虎の威を借る狐になってはいけないことです。
神の威を借りる人間になってはいけないのです。
神を信じないと不幸になるという考えは
間接的に神を信じない人は不幸になれと言ってるようなものなのです。
宗教に頼らなくても幸せを掴んでいる方はいらっしゃいます。
その人達を否定することにもなります。
宗教を信じるか信じないかは宗教側の問題であって
宗教に頼らない人達の問題では無いのです。
去る者は追わず来る者は拒まず。
去る者を追う宗教家にならないでください。