とくみつのひきこもり相談ブログ

7年3ヶ月ひきこもり無職の後、働き始めました。
ひきこもり無職の間、怖い経験をしました。
このブログは自分と同じ目に遭ってほしくないという思いで立ち上げました。

道を知った時の制約について補足

この記事はPL会員向けの記事です。


前の記事でバチが当たれと思うと
自分にバチが当たるようになることについての補足です。


なぜバチが当たれと思ってはいけないのか。
人の不幸を願うことになるだけでなく他にも理由があります。
バチを当てるかどうかは自然の摂理が決めることであって
一介の人間が決めて良いものでは無いからです。
それを知っていながらバチが当たれと思う時点で道を間違えることになるのです。


もう一つの理由はなぜ道端に空き缶が落ちていたのかについて
想像が及んでいない部分があるからです。
捨てた人間がいるからと考えただけでは足りないのです。
空き缶を捨てた人にそこに捨てる意図が無かった場合もあるということです。


例えばゴミ箱が一杯だった場合、ゴミ箱のそばに置いて放置し
風が吹いて転がってきた場合もありえるわけです。
その場合は自然の摂理が関わってきているので
それに対しバチが当たれと思うのは危険だということです。


空き缶については捨てた人間に不足を思う時点で
心の無駄遣いをしていることになるのです。
そういったことを防ぐためにPLでは
道行く人やすれ違った人に分け隔てなく祝福しなさいと説いているのです。


宗教家が肝に銘じなければいけないことは
虎の威を借る狐になってはいけないことです。
神の威を借りる人間になってはいけないのです。


神を信じないと不幸になるという考えは
間接的に神を信じない人は不幸になれと言ってるようなものなのです。
宗教に頼らなくても幸せを掴んでいる方はいらっしゃいます。
その人達を否定することにもなります。
宗教を信じるか信じないかは宗教側の問題であって
宗教に頼らない人達の問題では無いのです。


去る者は追わず来る者は拒まず。
去る者を追う宗教家にならないでください。


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人の道を知るメリットとデメリット

この記事はPL会員向けの記事です。


道を知ると道に縛られるようになります。
デメリットは負の言葉や負の感情を制約の中でしか使えなくなることです。
無闇に使うと自分の体に何らかの異常やダメージが現れるからです。


使っても良い条件とは創作の世界でのみ使用を許されるということです。
そして創作の世界であっても使ってはいけない言葉が分かるようになります。


もう一つのデメリットは道を知ると寿命が縮むということです。
それまでの自分の行いを清算するために残りの寿命を使うからです。
人によっては呪いとしか思えないでしょう。


私は寿命が減っても道を知れて良かったと納得しています。
寿命を払ってもお釣りが来るほどメリットが有ったからです。


メリットは日常生活においてストレスを感じることがほぼ無くなったことです。
特に天候や気温で不足を思うことは一切無くなりました。
あるがままの自然現象として受け入れられるようになりました。
食べ物がとても美味しく感じられるようになったり
疲れにくくなって夜はぐっすり眠れるようになりました。
大抵の作品は楽しめるようになりました。


これらはほんの一例でメリットは他にもたくさんあります。
中途半端な状態でもこうなので完全に道を理解出来たら楽しいだろうなと思います。



道を知っている上で発生する制約について一つ例を示します。
道端に空き缶が落ちていたとします。
当然拾うわけですがそこでどう想うか。


道を知っていると空き缶を拾うことによって
景観が良くなることに喜びや感謝を見出し徳が上がるわけですが
中途半端な私は「これを拾うと徳が上がるなあ」
とか思いながらやるので徳が上がりません。


道を知っている人として一番やってはいけないことが
「空き缶を捨てるなんてけしからん。バチが当たれ」と思うことです。
そう思うと自分にバチが当たるようになります。
なぜなら人の不幸を願ったからです。


このように道を知ると物の見方や考え方に制約ができるのですが
道を知ればどれも当たり前の事として認識できるようになるので
不便に思うことは無くなります。


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ハインリッヒの法則

ハインリッヒの法則は1件の重大事故が起きた時その事故が発生するまでに
29件の軽度な事故と300件の小さな異常があるという経験則です。


300回ミスをしたらその内の1回が重大事故につながるというもので
逆に小さなミスに対し一つ一つ対処すれば
重大事故は起きないという危険予知において基本となる考え方です。


この法則は安全だけでなく仕事や趣味などあらゆる分野で活用できます。
小さなミスを放置せず対処すれば重大な失敗は起きず
重大な失敗によって生じる損失も発生しないからです。
良い企業はハインリッヒの法則を重視しています。


あらゆる分野に適用できるので健康を目指すのに活用したり
精神面を鍛えることにも使えます。
300回負の言葉や負の感情を使うとその内の1回が大きな失敗につながるのです。


負の連鎖に巻き込まれていると
どうしても負の感情に流されやすくなってしまいます。
無理に前向きになろうとしても逆効果なので
まずは止めることから始めていただきたいです。
ほんのわずかで良いので寛容になっていただきたいです。


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宗教が抱えやすい問題

宗教はその特殊性ゆえに自らが抱えてる問題に気付きづらいです。
蓄財の罪や科学との不調和など色々あります。
宗教が抱えている最大の問題は指導者が道を踏み外した時に
それを正す手段が存在しないことです。


宗教の指導者はいくら道を間違えても下の信者は正してくれません。
宗教のトップに立つと何をやっても信者は肯定するしかなくなります。
批判しようものなら神の教えが分かってないと破門されるだけだからです。
だから自分が正しい道を歩んでいるのか判断できなくなってしまうのです。
もちろん外部の批判も聞き入れてくれません。
神を知らない立場の意見は聞き入れる必要を感じないからです。
宗教が疎まれる原因はここにあるのです。


歴史を顧みればたびたび宗教改革や宗派の分裂が起きています。
そのうちの理由の一つが上にいる指導者が道を間違えたと判断し
下の者達が付いていけなくなったからというのが有ります。
そうやって分裂すると元に戻ることは難しいです。
同じ宗教から派生したのに仲が良くない宗教が多いのは
互いに相手の教義が間違っていると主張するからです。


自然の摂理の本質は同じなのですが解釈する人間に個性があるために
どうしても教義に違いが出てきてしまいます。
宗教は世界平和を目指すものなので教義の違いは些細な問題なのです。


厄介な問題はもう一つ有ります。
それに付け込んで宗教を食い物にする人がいることです。
利権を貪るためだけに宗派を分裂させたり
新たな宗教法人を立ち上げる人がいるのです。
これがカルトです。


宗教とカルトの区別が難しくなっている原因は
個人で見る人がいるからです。
カルトにも善良な信者はいますし宗教にも狂信者はいます。
個人でその宗教を見るとその宗教が見えづらくなってしまうのです。


宗教を見るならまず教義を見てほしいです。
主な教義は日々感謝の心を持つようにしているか、
先祖を敬う大切さを説いているか、
他人にされて嫌なことはやらないようにする、などです。
カルトは他の宗教から教義を流用しているだけなので
一貫性が無くなりやすいです。


次にシステムを見るとカルトと宗教は明確な違いが出てきます。
科学との調和を進めているか、
法外なお布施を要求していないか、
他の宗教の存在を認めているか、
布教にノルマが無いか、などです。


布教については教えを広めたいという欲から
普通の宗教でも問題を起こしがちです。
宗教アレルギーの方が増えてる事や科学の進歩を見ると
もう積極的に布教する時代では無いと思います。


科学が未発達の時代では自然が身近にあり共に生きていたので
自然の摂理の理解は自然を軸として行われました。
科学の進歩により自然の摂理は別の側面を見せています。
科学の流れもまた自然の摂理だからです。


私は科学と道徳と芸術を用いれば
宗教の悟りとは違った悟りが得られるのではないかと思っています。


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先祖を敬う

多くの宗教は先祖を敬う大切さを説いています。
なぜ先祖を敬う必要があるのか。
それは自分の起源が関わっているからです。


自分の先祖を辿り続けると最終的に宇宙の誕生まで遡ります。
親や先祖を否定する事は宇宙そのものを否定する事と同じになるのです。
自分は宇宙という器に入っているのにその器を否定することはとても危険なのです。


自分が存在している宇宙を否定すると
自然の摂理はあらゆる方法を使って否定しないよう求めてきます。
PLではみしらせという形で示してきます。


同様に自己否定をすることも自分の子供を否定することも
他人を否定することも宇宙を否定することになるのです。
否定をすると先祖の業を受け継ぐことになり
逆に先祖を敬えば先祖の徳を受け継ぐことができるようになります。



自分の先祖について認識すべきことがあります。
自分が存在するためには親が二人必要です。
親が存在するためには祖父や祖母が四人必要になります。
30年ごとに先祖の数を倍にしていくと
810年で1億3000万人を超えます。


日本は2000年以上続いてることを踏まえると
日本人はみな遠い親戚になるのです。
天皇家でさえも遠い親戚になります。
天皇陛下を敬うことも先祖を敬うことと同じになるのです。
経済を知っていれば天皇陛下が日本にどれだけの国益をもたらしているか分かるわけですが自分の起源という視点でも天皇家は重要なのです。


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