とくみつのひきこもり相談ブログ

7年3ヶ月ひきこもり無職の後、働き始めました。
ひきこもり無職の間、怖い経験をしました。
このブログは自分と同じ目に遭ってほしくないという思いで立ち上げました。

即かず離れず

この記事はPL会員向けの記事です。


人は執着しやすい生物でPLでは即きすぎると表現します。
嫌いな人がいた場合、それもその人に即きすぎてることになります。
その人を嫌うこともその人に心を引っ張られているからです。
どうせ引っ張られるなら嫌うより好きになった方が良いです。
どうしても好きになれないならその人について何も考えないことが
自分にとっても相手にとっても無難な手段となります。
さらにその人の幸せを願えれば良いのですが
会員さん達を見ていても相当難しいことはよく伝わってきます。


人の道的な中道というものがあり
「即かず離れず」という教えがあります。
この教えは地球と太陽の関係のように人や物事に対する時
必ず丁度良い距離が存在していることを示しています。
それに気付くには知識や感性を磨いた上で経験を重ねていくしかありません。


このバランス感覚は生きていく上で色々と役に立つようになります。
怠け心を出してはいけませんが無理をしてはいけません。
我慢をしてはいけませんが表現には気を付けなくてはいけません。
安定に落ち着くのは良いですが停滞してはいけません。
足るを知るのは大切ですが向上心を失ってはいけません。


自然の摂理は頼るのではなく依るものです。
自然の摂理は感謝する対象であって
なんでも願いを叶えてくれるものではありません。
ですが上手く行っている時は自然の摂理のおかげで
上手く行かない時の大体は自分の心の所為です。


即かず離れずの丁度良い距離を保ちそれを貫き続けると
心の平穏も保てるようになります。


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知識を重ねる

作成サイト

http://diagram.jp/correlation/


知識は連なっています。
簡単に図に示しましたが実際には脳は三次元の上
各々の知識は雲のように重なっています。
知識は重ねれば重ねるほど理解しやすくなり
環境にも適応できるようになります。


知識の土台の土台となるのは国語です。
知識の基本は文字で表され読解力が必要だからです。
音楽や図工を習うのは感性を磨くためです。
感性の磨き方で情報の理解力が変わります。


外側にある知識は理解が難しくなり無くても生きていくことはできます。
ですがほんの少しでも良いので雑学程度に知っておくと勘違いを減らすことができます。


現代で神を知っていると言うと最低限の科学も知ってると言うのと同じになります。
科学も自然の摂理だからです。
科学を知らない宗教家は科学の部分に知識の穴が空いてるので
説く教えにも穴が空きやすくなるのです。


神に頼らない方々にお願いしたいのは最低限の宗教の知識を得てほしいことです。
宗教の知識を得た上で神に頼らないという選択をしていただきたいのです。


知識欲、知識を得ようとすることは生存本能に基いています。
子供が好奇心の塊なのは知らないことが生存確率を下げていることを本能的に知っているからです。
自分が細胞の塊であったり病原菌の存在を知るとその分だけ安心するのです。


知識というものはどんなに役に立たなそうに見えても
有れば有った分だけ自身のひらめきや気付きにつながりやすくなります。
そしてその気付きが生存確率を左右させているのです。


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健康と我慢

健康のために好きな食べ物を我慢し後に体を壊してしまったら
何のために我慢したのか分からないし意味が無い、
だったら好きなものだけ食べていたい、という人がいます。


体を壊す前に想像できる範囲で想像するしかないのですが
健康に気を配った場合と配らなかった場合で
体を壊した時に心境の違いが出てくると思います。


健康に気を使い続けてその上で体を壊してしまったら
これが自分の限界なんだと受け入れる時間も短くできると思うのです。
暴飲暴食をした結果体を壊してしまったらきっと後悔します。
なぜあの時医者の忠告を素直に聞けなかったのかと。


我慢はストレスが溜まるのでそれが原因で体が壊れるという主張も
自分の意識が自分勝手に考えている場合がほとんどです。


私は体があまり強くないので食べられないものがいくつか有ります。
カレーやラーメンなどがそうです。
ですがそれらを食べられないことでストレスを感じたことはありません。
美味しい食べ物は他にも色々あるからです。
食べられないものを考えるより食べられるものに対して意識を向けているのでストレスも溜まらないのです。


標準体重を大きく上回っている方に認識していただきたいのは
その体でも生きていられる体に感謝してほしいということです。
私が体重100キロを超えようと沢山食べたら恐らく100キロを超す前に命を落とします。
太ることができるのも体の強さの証なのです。


年を重ねると味覚が変わっていきますが
それは体質が変化しているために体が求める食べ物が変わるからです。
長生きできる方は体が求める食べ物と意識が求める食べ物が一致しているから長生きできるのです。


長生きする秘訣は穏やかな心を持ち、体に感謝し体の状態を把握し
体が教えようとしていることに気付くことだと思います。


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声を聞く危険性

この記事はPL会員向けの記事です。


統合失調症の時に受けた衝撃は今でも忘れられません。
周りの方々から発した単語を自分の脳が勝手に書き換えてしまう恐ろしさ。
極端な話「ありがとう」と言われた言葉が
「お前は駄目だ」と聞こえてしまうのです。
誰もいない押し入れから声が聞こえたり
自分の思考が他人に盗聴されているという感覚も味わえます。


私の場合は体がPL処世訓を掘り起こしてくれたので
幻聴さんの声がネガティブな状態からポジティブな状態に切り替わり
自分の体に説教されるという体験をしました。


統合失調症なので声は全て私の脳が聞かせたものだったのですが
不思議なのは私の脳が人の道について解説してくれたことです。
少なくとも私の意識は知らない状態だったので
なぜ私の脳が人の道を知っているのか不思議でした。


それで気付かされたのが自分の意識とは別に体は体で学んでいるということ。
無意識に学んでいたことが統合失調症で表面化したのです。
自我無きところに汝がある、とは正にこの事だと体感しました。


幻聴さんの最後の言葉は今でもはっきり覚えています。
「声を聞くなと言っただろ」
それっきり幻聴さんの声は一切聞こえなくなりました。


幻聴さんからのアドバイスは仕事でも役に立ったのでつい頼ってしまいました。
判断力が低下するのでそれを咎めるために言ったのだと思いましたが
最近になって声を聞き続ける危険性に気付く事ができました。


どんなに良い状態であっても声が聴こえる状態は統合失調症で
自分の意識が自分の脳を使えていないということ。
脳を使えていないのでその分判断力が低下してしまう。
アドバイスに頼ってしまうのでますます判断力が低下する。
つまりどんなに良い状態でも声を聞き続けていると
脳を使わず判断もしていないので脳が急速に衰えてしまうのです。


神の声を四六時中聞き続けている人達は
知らず知らずのうちに脳を衰えさせているのです。
最終的には声を聞かないと自分を保てなくなってしまいます。
神の声が聞こえてる人はたまに聞く程度に留めた方が良いと思います。


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相対の岐路に立つ

この記事はPL会員向けの記事です。


「常に善悪の岐路に立つ」に折り畳まれている教えです。
科学と宗教の岐路に立つ、
資本家と労働者の岐路に立つ、
資本主義と共産主義の岐路に立つ、
戦争と平和の岐路に立つ。


このように相対の岐路に立つと視野を広げることができます。
では無数にある相対の中からなぜ原処世訓が
「善悪の岐路に立つ」となっているのでしょうか。
それは善の概念と悪の概念はこの世で最も対極にあるものだからです。
善悪の岐路に立つことができれば
この世の一切の相対するものを客観的に見ることができるのです。


善悪の岐路に立ち、相対の岐路に立つ。
この教えは源流である徳光教の教えを加えると理解しやすくなります。


「苦痛は善悪の境と知れ」


苦痛というものは普段は味わいたくないものですが、
無ければ無いで困ることになります。
痛みを感じなければすぐに骨折したり、
内臓が壊れても死ぬまで気付けないからです。
痛みを感じることは本来ありがたいことなのです。
生存確率を上げるために進化の過程で痛覚を獲得したのです。


体が苦痛を味わわせてくれるのはそれ以上無理をさせないためです。
無理をしない程度にできる範囲で物事を成すことが大切なのです。
無理だと体が教えてくれるのなら休んで良いのです。


相対の岐路に立つと視野を広げることができます。
感性を磨き視野を広げるとあらゆる事から学べるようになります。
処世訓に折り畳まれている教えの一つ
「一切に学ぶ」ことができるようになります。


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