つらい記憶や至らない自分と向き合う
つらい記憶を思い出すとやっぱり嫌なものですが
自分の成長や生きるための知恵だと思えばなんとか受け止められるものです。
私の例ですが昔カツアゲされたことがあります。
ひきこもっている時は当然の如くその人を恨んでいました。
今はその人の幸せを願っています。
その人が改心していたならカツアゲした事を一生後悔するだろうからです。
私は反省して世のため人のために働いてくれるなら喜んで応援します。
更生した不良を持ち上げるな、ずっと真面目に生きていた人間に失礼だと意見は
全くもってその通りだと思います。
しかし更生した人にはその人なりの悩みがあることを想像してほしいのです。
元ひきこもりに対しても同じように想像してほしいです。
私が働こうとする時、最後まで抵抗していたのがニートの心です。
働いたら自分は殺されると考えていたからです。
自分を殺して助かろうなんて許さないと。
私は説得しました。
このままじゃみんな死ぬ。だから大人しくしてくれと。
全ての自分を受け入れるから。ニートの心も捨てないからと。
働きすぎた時にニートの心に助けてもらうから怖がらないでくれと。
働き始めた時ニートの心がみんなの心を代表して言いました。
「助けてくれてありがとう」
涙が出るほど嬉しかったです。
つらい記憶を捨てるという事は
その時の自分を捨てるということです。
それは一種の自己否定です。
私はもう自分を否定したくなかったので全てを持ち続けると決めました。