とくみつのひきこもり相談ブログ

7年3ヶ月ひきこもり無職の後、働き始めました。
ひきこもり無職の間、怖い経験をしました。
このブログは自分と同じ目に遭ってほしくないという思いで立ち上げました。

PL処世訓について - 5

この記事はPL会員向けの記事です。
PL処世訓は初見では分かりづらく誤解しやすいものが有ります。


「人は平等である」は貧富の差があるから間違っていると。
この処世訓には人は創意工夫ができる、人は皆違う個性を持っている、
その人にしか表現できないことがある、その人にしかできない芸術が在る、
芸術する力は等しく与えられている、
だから人は平等である、という意味が込められています。


貧富の差が有っても表現できることは有り
お金が無いなら無いなりに芸術すれば良く、
お金が有るなら有るなりに芸術しなければならないのです。
お金を貯め込み世のため人のために使わないのは芸術できてないのです。


「常に善悪の岐路に立つ」は善だけでは駄目なのかと思う人がいます。
これは布教に熱心な信者が陥りがちなことです。
布教に熱心な信者は心の底からの善意で布教しようとします。
しかし宗教に頼らない人からすると迷惑極まりないのです。
善のみに偏っているから道徳から外れてしまうのです。
善悪の枠を超えた視点を持たないと善のつもりが悪になってしまうのです。


「真の自由に生きよ」は自分勝手に生きても良いのかと捉える方がいます。
人が皆自分勝手に生きたら社会は破綻します。
だから真の自由を得るには調和を保つことから始めると気付きます。


自我に囚われてそれが不自由を生み出していることに気付いていない人が多いです。
例えるなら目隠ししながら生きているようなもの、
逆立ちしながら生きているようなもの、
後ろ手に縛られながら生きているようなものなのです。


自我に囚われた思考の檻とはそれぐらい不自由な精神状態なのです。
真の自由はその不自由な精神から解放された状態を指しています。


PL処世訓は奥が深いので会員さんには少しずつで良いので理解を進めていただきたいです。


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