とくみつのひきこもり相談ブログ

7年3ヶ月ひきこもり無職の後、働き始めました。
ひきこもり無職の間、怖い経験をしました。
このブログは自分と同じ目に遭ってほしくないという思いで立ち上げました。

時間から自分を見る

時間の視点から自分を見た時
過去の自分と今の自分と未来の自分、三人いることが分かります。
さらに生まれる前と死後の自分もいますが認識できないのでこの二人は深く考えないようにします。


この中で一番重要なのは今の自分です。
過去の自分と未来の自分には今の自分から見て意識が無いからです。
ですが過去と未来をないがしろにして良いわけではありません。


過去は自分の意識が通った道で未来は自分の意識が必ず通る道です。
過去の自分が持っているのは経験で未来の自分が持っているのは可能性です。
この二人を結んでいるのが今の自分です。


過去の自分に思うことは経験から学び
失敗したことを嘆かず引きずらないことです。
未来の自分に思うことは決して憂いてはならず
いつか必ず訪れる未来に対処するためできる範囲で頑張ることです。


過去は変えられません。
負の感情や負の言葉を使った過去も変えられないのです。
だから未来の自分のために少しでも減らす努力が必要なのです。


悪の側にいる人は思考の檻に囚われている人です。
例えばお布施を着服する宗教家は賽銭泥棒と同じなのですが
天罰が下らないためにやっぱり神はいないじゃないかと
自然の摂理を理解できないまま年を重ねていきます。


しかし年を重ねると経験や感性の成長によって
自然の摂理に気付く確率は上がっていくのです。
信仰心を持つお年寄りの方々が多いのはそのためです。


死は自然の摂理の一つです。
死が迫ってくると自然の摂理に気付く確率は跳ね上がります。
死の間際に自然の摂理を理解してしまうと
今までの自分の行いに耐えられないほどの苦痛を味わってしまうのです。


私は過去の経験に感謝しながら生きています。
そして未来の自分にも感謝しています。
未来への感謝は特殊な感謝ですが
少なくとも憂いを持つことは無くなりました。


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揺り戻し

自然の摂理は世界が悪い方向に行き過ぎたときに
それを正そうとする修正力のようなものを働かせます。


キューバ危機を回避できたのも先の戦争で大勢の犠牲を出し
回避できなかったらそれとは比較にならないほどの犠牲が出ると
多くの人が思ったから回避できたのです。


最近でも揺り戻しは起きています。
富裕層だけが節税できるタックスヘイブン問題に対し
パナマ文書が公開されたことがそうです。


諸行無常の原理により悪い事はいつまでも続きません。
良い事も続かないと思われるでしょうが悪い事よりは長く続きます。


例えば交通事故の件数が減り続けていることがそうです。
この流れは多くの人が幸せになりたいと願っているからこそ生まれた流れで
一旦こうなれば悪い方向に向かう確率も下がっていきます。


世界平和は現時点ではただの夢物語です。
ですがイメージすることはできます。
世界平和が達成された時に何が起こるのか。
創作のインフレーションが起きます。


人類全員が表現者となるので今で言う十年に一度の傑作や名作が
ジャンルを問わず毎日のように生まれてくるのです。
作品を批判する時間が有るなら一つでも多くの作品を見ないと
損をした気分になるほど面白い作品が出てくるのです。
戦っている人達がそれに気付ける事を願っています。


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アニメ「けものフレンズ」

異例のヒットとなっているけものフレンズ。
1話だけ見るとなぜヒットしているのか理解されづらいと思います。
低予算と分かる3DCG、間延びしたテンポ、
見るとIQが下がると言われるほどゆるいアニメです。


2話で初めてEDが流れると考察する人が増え
思ったよりも丁寧に作られている、伏線が多く散りばめられている、
動物ファンが動物の特徴や習性を上手く表現していると広めた結果
3話から4話にかけて一気に人気に火が付きました。


私も1話で一旦視聴をやめましたが3話の評判を見て視聴を再開し
この作品が持つ独特の魅力に惹き込まれました。
終盤は1話の雰囲気からは予想しづらい展開が続きます。
10話と11話を見た時は感動しました。
11話を見た後に改めて1話を見ると伏線だらけだったと分かり驚きました。
初見と11話視聴後では1話の印象が変わってしまうのです。


恐ろしいのは1話放映時にけものフレンズを名作と見抜いた人達がいたことです。
私は吉崎観音さんが仰った「知ることをやめた心の壁」に気付かされ
創作に対する感性がまだまだ未熟だったと痛感しました。
けものフレンズはあと1話の放送を残すのみですが
どのような結末を迎えても長く愛される作品になるでしょう。


ヒットした原因の一つが疲れている人が多かったからと言われています。
EDの歌詞から一部抜粋して携わった方々に感謝します。


「綺麗なものを探しに行こう 美味しいものもたくさん食べよう」

知識が確率を変える

お酒の飲み過ぎや煙草の吸い過ぎは体に良くないことは広く知られていますが
怒ると体に良くないことはあまり知られていません。


改めてなぜ怒ってはいけないのかについて。
怒ると頭に血が上り視野が狭くなります。
視野が狭くなるから失敗しやすくなります。
自律神経も混乱するので体調を崩しやすくなります。


それから自分の歴史を汚すことになります。
AさんとBさんが居るとします。
Aさんは毎日10回感謝します。
Bさんは毎日10回怒ります。
1年後に過去の1年を振り返ったとき
Aさんは3650回感謝できました。
Bさんは3650回怒りました。
どちらが幸せに近いかと言うとAさんになるのです。


私はハインリッヒの法則は真理の一つだと思っています。
300回怒るとその内の1回が自分に返ってくる確率が跳ね上がるのです。
300人怒りっぽい人が居るとその内の一人が不幸になる確率が上がるのです。
逆もあります。
300回心の底から感謝すればその内の1回が返ってくる確率が上がるのです。
300回反省すればその内の1回は大きく成長できる確率が上がるのです。


学校で学んだことの大体は忘れてしまうものです。
しかし忘れない知識がいくつかあることに気付けるはずです。
例えば自分が細胞の塊であることは一度理解してしまえばまず忘れません。
なぜ忘れないのか。
それは自分の生存確率を大幅に変える知識だからです。
自分の命に関わる知識は忘れづらいのです。


だから失敗した記憶を忘れないことも自分の生存確率を上げているのです。
失敗した記憶も自分を生かす知識に変わるのです。


人は他の動物と違い意図的に確率を変えられる生物です。
一つ一つ変えられる確率は微々たるものでも
積み重なれば決して無視できないほど影響が大きくなります。


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私の信芸

この記事はPL会員向けの記事です。


PLに限らず現代で布教しようとしている人は
大きな見落としをしていることに気付いていません。


宗教家の方にお願いしたいのは量子論を学んでいただきたいという事。
それで量子論を学んで意味があるのかと思われたなら
それは宗教の知識を持っていない人が神を学んで意味があるのかと思うことと
全く同じ思考になっていると気付いていただきたいのです。


高校までの物理では原子核の周りを電子が回っていると教わりますが
それは正確なものではありません。
では嘘を教えているのかと言うとそうでは無いのです。
量子論は理解できない人には絶対に理解できない物理学なので
そこまで教える必要が無いということです。


量子は波と粒子の両方の性質を持っている、確率的な存在、電子雲、
重ね合わせ、量子は自身と干渉する、観測問題、トンネル効果、
量子テレポート、量子の持つ情報は時空を超える等々。
量子論の理解には思考の跳躍が必要なのです。
それは宗教も同様で神の理解にも思考の跳躍が必要となっています。


神を信じなさいと言うのは量子論に当てはめると
量子の持つ情報は時空を超えますよ、
量子レベルなら未来から過去に干渉できますよ、
こういったことを受け入れなさいと言っているのと同じなのです。


より高い知識を理解するには土台となる知識を積み重ねる必要があります。
量子論を理解するには原子の知識が必要です。
原子を理解するにはミクロの概念が必要です。
ミクロの概念を知るには自分が細胞の塊であることを知っていないとできません。
自分が細胞の塊であることを知るには顕微鏡の実験が必要です。
それには顕微鏡の構造を知らないとできません。
だから最初は虫メガネの実験から学んでいくのです。


いきなり神の話をするのは科学の知識が無い人に量子論を教えるようなものです。
もっと手前の話から伝えていかないと理解されるはずありません。
量子論に当たるのが宗教の神の話なら虫メガネに当たるのは何か。
それが道徳なのです。宗教は道徳の延長にあるものです。
道徳を完全に理解できた人だけが宗教へ思考を跳躍させることができるのです。


現代では道徳で充分と考えている人が多いです。
私はそれを尊重しています。
神の話は聞いてもらえない。だから神の話はしません。
勧誘すると逃げられる。だから勧誘しません。
それでも私は職場で人の道を伝えています。
その教えには神も信仰も入ってないので
相手には道徳の話をしているようにしか見えません。
しかしほんの少しでも相手が分かってくれたらそれで良いのです。
神や信仰の成分が無くても人の道が伝わったことに変わりは無いからです。
これこそが信芸なのです。


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