とくみつのひきこもり相談ブログ

7年3ヶ月ひきこもり無職の後、働き始めました。
ひきこもり無職の間、怖い経験をしました。
このブログは自分と同じ目に遭ってほしくないという思いで立ち上げました。

働いて嬉しかった事

私はデータ入力の仕事をしています。
お客さんから送られた発注メールを
会社のフォーマットに合わせて編集し入力しています。


私が受け持ったお客さんは電話での変更が多く
職場の中で私が一番多く電話対応しています。


引き継いだ直後は失敗して怒られたり、
私の力が及ばない領域での会社のミスで怒られたり、
お客さん同士で情報をやり取りすれば良いのに
一々私に確認してくる方がいたりとかなりきつかったです。


負の感情を溜め込むのは自分を壊すだけなので極力流すようにしていましたが
それでもきついなあ、しんどいなあと思いながら応対していました。


先月定年退職などで三人のお客さんが辞められました。
驚いたのは三人からお世話になりましたと挨拶をいただけたことです。
社会人なら当たり前なのでしょうが
私は挨拶をいただけるとは全く思ってなかったので驚きました。


その中には怒りをぶつけられた方もいらっしゃいました。
二人目からはいつも無理を言ってすみませんでしたと謝られました。
一番驚いたのが三人目の方でわざわざ私に会いに職場まで来ていただいた事です。
最後だから会って挨拶がしたかったと。
私が逆の立場だったら他の二方と同じように電話で済まします。
私は自分の応対は間違っていなかった、報われたと思いました。


今では他のお客さんとも良好な関係が続いています。
中には厳しいことで有名な方もいて、その方は昔私の職場に乗り込んで来て
精神的に追い詰めて辞めさせたこともあるといういわく付きの方です。
そんな方を元ひきこもりに任せるのかと突っ込みたくもなりましたが、
その方も少しだけ変わりました。
引き継いだ直後は私に対しても「お前」と呼び敬語も一切無かったのですが
最近では「君」と呼び敬語も少し使っていただけるようになりました。
わずかな変化ですが昔の逸話を聞くと大きな変化だと思います。


中途半端でも道徳に沿っていれば上手く行くと実感できました。
何より一切衝突せずに解決したのが大きいです。
これが捨てて勝つ極意なのだと思いました。


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心臓について

心臓は休み無く動いています。
筋肉に負荷をかけ続けると壊れるので
正確には心筋は休みながら動いています。
血を送り出した後ほんのわずかな停止時間で休んでいるのです。


運動などで心拍数が増えると休める時間が短くなります。
心臓が最も休めるのは睡眠時です。
夜更かしをすると心臓の負担が増えるわけです。


怒ったり焦ったりすると運動していないのに心拍数が増えるので
心臓の寿命を無駄に削ることになります。
だから怒りっぽい人は決して長生きできないのです。


食べた物を自動で消化吸収してくれる胃腸、
絶え間なく酸素と栄養を送ってくれる心臓、
睡眠時でも窒息しない肺など体にはいつも助けられています。
毎日体に感謝しています。


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PL処世訓について - 3

この記事はPL会員向けの記事です。


PL処世訓は二代さまの悟りを表したものです。
同時に二代さまの身を通して現れた自然の摂理です。


PL処世訓を全て守ろうとするのは難しいです。
ですが難しいと思ったら無理に守らなくても良いのです。
PL処世訓は全てが関連しているのでたった一つでも守ることができれば
自分を良い方へ向けることができます。


PL処世訓は多くの教えが折り畳まれていて使う人によって出て来る教えが変わります。
その中にはその人だけに意味がある教えが有ったり
ほぼ全てのPL会員に共通する教えが折り畳まれていたりします。


共通する教えの代表は
「一切に感謝する」「一切に学ぶ」「一切に誠を込める」などです。
一切に誠を込めるのは難しいですが
PLは自分のペースで信仰できる宗教です。
全てに誠を込めるのは不可能だから守れないとするのではなく
できる範囲で誠を込めれば良いのです。
難しいと思ったら即かず離れずの精神でやれば良いのです。


PL処世訓は認識と行動の二つに分かれています。


認識
人生は芸術である・人の一生は自己表現である・自己は神の表現である
表現せざれば悩がある・感情に走れば自己を失う・自我無きところに汝がある
一切は相対と在る・人は平等である・名に因って道がある
男性には男性の、女性には女性の道がある
世界平和の為の一切である・一切は鏡である・一切は進歩発展する


行動
日の如く明かに生きよ・自他を祝福せよ・一切を神に依れ
中心を把握せよ・常に善悪の岐路に立つ・悟る即立つ
物心両全の境に生きよ・真の自由に生きよ


PL処世訓はまず認識した後に行動するように促しています。
行動した後にちゃんとできているか確認するために認識の処世訓を挟み
最後の五つは行動の処世訓で埋められています。


一つ挙げるなら「世界平和の為の一切である」は認識の処世訓であり
どう行動すれば良いのかは行動の処世訓を参考にするように促しています。
処世訓の理解が進むと実際にどう行動すれば良いのかは自然に分かるようになります。


美味しいものを食べる、作品を見て感動する、旅行を楽しむ、
階段では手すりを使う、列を作り並ぶ、
これらは全て世界平和へ繋がっているのです。


神に頼らない人でも感動できる作品を見たいと思えば
それは平和を祈る事と同じになるのです。


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平和側に立つ

地球はいずれ太陽に飲み込まれます。
20億年も経てば生物が住めない星になります。
平和にならなくても強制的に平穏になります。
争いが無くなるので平和側に立っている人が報われることが決まっているわけです。
戦争が無くならなければ人類は太陽系から脱出できずに滅ぶでしょう。


何億年後のことなんて自分には関係ないと思われるでしょうが
今の自分に視点を移しても関係あるのです。


世界平和のメリットで多くの人が恩恵を受けることは
医療が今とは比較にならないほど発達することです。
人類全員が表現者となるので医療についても才能を発揮する人が大勢現れるのです。


もし10年前に世界平和が達成されていたとしたら
癌を始め多くの病気が克服されていたかもしれないのです。
権力者の方々も戦争さえなければ
持病や家族の難病が完治できたかもしれないのです。
世界が平和になれば権力者の方々も長生きできるようになるのです。
権力者の方々がそれに気付けることを願っています。


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思考の檻

この記事はPL会員向けの記事です。


科学の知識は宗教の思考の檻の外に視点を置くことができます。
逆もまた同じです。
だから私は科学と宗教の両全の境に視点を置くことにしました。
しかしそれでも思考の檻の内側にいます。


PLでは神を信じない人を神を忘れた人と表現しています。
これは生まれた直後は自我が無く最も自然の摂理に沿った状態で
自我が形成されるに従って自然の摂理に沿わない物の見方や考え方ができることから来ています。


自我が形成された後に自然の摂理を理解するには
我執に囚われていては駄目だと言うことになります。
執着を捨てた状態の視点を持てないと気付くのは難しいのです。
自己に囚われないと同時に感性を極限まで高めてなんとか気付けるかどうかなのです。


PLの教えは役に立ちますがそれが唯一絶対に正しく
それが全てとしてしまうとそこで思考の檻に囚われます。
PLの教えが間違っているのではありません。
神を信じる事とは別のものがあるかもしれないと想像できるかどうかなのです。
信仰心を否定する意図もありません。


知識はジグソーパズルのようなものです。
気付けない人は持っている知識、ピースがバラバラの状態なのです。
感性を磨くことによって持っている知識をあるべき場所に置くことができます。
それぞれの知識のピースをあるべき場所に置ければ気付ける回路ができます。


科学の知識を集めている時にぶつかった壁がクオリアです。
クオリアを理解することは現代で気付ける人になるには一つの条件だと思っています。
色、匂い、味、音、触感のクオリアが有ります。
特定の動物が赤外線や磁力を感知できることから
赤外線と磁力のクオリアも在るということです。


赤外線や磁力を感知する、クオリアを認識することは人間には想像外にあるものです。
光の4原色も多くの人の想像外にあるものです。
想像外にあるものが在る、と知った時に思考の檻の格子に触れることができます。
クオリアの先に在るものまで想像力を働かせていただきたいです。


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