とくみつのひきこもり相談ブログ

7年3ヶ月ひきこもり無職の後、働き始めました。
ひきこもり無職の間、怖い経験をしました。
このブログは自分と同じ目に遭ってほしくないという思いで立ち上げました。

決めつけに対する気付き

この記事はPL会員向けの記事です。


何でも決めつけていると間違った認識のまま過ごすことがあります。
私が勤めている会社に当たり付き自販機があります。
当たると全額返ってくるタイプの自販機です。


私はこんなの当たるわけ無いと思いながら買っていましたが先日当たりました。
当たり付き自販機で当たったのは生まれて初めてだったので
あ、当たるんだと思うと同時に当たらないと決めつけていた自分を戒めました。


返ってきたお金については
このお金は飲み物を買うために払った対価で
自分の手元を離れた時点で自分のものでは無いという感覚と
気付かせてくれたことに対する感謝の意味で全額宝生しました。


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一段思考を進める

何事にも最良というものは存在していません。
これが一番だと思った先にもう一段先に思考を巡らせられるかで
気付けるかどうか変わっていきます。


煙草を吸う人は吸わない人より平均寿命が短くなります。
ここまでは広く知られています。ここでもう一段思考を進めて欲しいのです。
喫煙者の中で煙草のポイ捨てをする人としない人、
どちらが平均寿命が短くなるのかということ。


ポイ捨てをする人はその分だけ自分の体のことも考えられないので
マナーを守って吸っている人よりも平均寿命が短くなるのです。
煙草が止められないのなら喫煙者の中で長寿を目指していただきたいです。


お酒もそうです。
厳密にはアルコールは一滴でも毒です。
だからと言って何が何でも禁酒させるのは道に沿っていません。


お酒を嗜む人に目指していただきたいのは
適量を守って長く楽しもうとすることです。
本来なら80歳まで生きられたのに飲み過ぎて60歳で命を落としたら
20年分お酒を楽しめなくなってしまうからです。


食べ過ぎて標準体重を大きく上回っている人もそうです。
それは未来の自分が食べる分まで横取りしているようなものです。
体を壊す前に気付ける人が人生を楽しめるのです。


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ジョギングについて

ジョギングは心肺機能を高める、新陳代謝が良くなる、
手軽に無我の境地を味わえるなど良いことずくめに見えます。
健康のためにジョギングをする方は多いですが気になることが有ります。
それは膝の寿命を縮めることです。


人間は四足歩行から二足歩行に進化しました。
そのために腰、膝、足首を痛めやすくなっています。
食べたら食べた分だけ血肉になる成長期なら良いですが
成長が完全に止まる30代以降はジョギングではなく
ウォーキングやサイクリングにした方が良いと思います。


人間は二足歩行になったために無理が生じている、
関節は消耗するもの、
ジョギングやランニングは膝の寿命と引き換えの健康法である、
この三点を押さえていただきたいです。


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道徳と知識

私が道徳を重視しているのは神の教えより効率が良いからです。
信仰心が無い人にとって神の教えは役に立たないのです。
神の存在は嘘だと思っているので神の教えも嘘にしか見えないのです。
神の教えは無意識に訴えることができても
有意識の拒絶がそれより強くなるのでやめた方が良いと思います。


道徳は信仰心が有る人と無い人の間を取り持つものです。
宗教家の方こそ道徳を推進するべきです。
相手が信仰心を持っているか否か一々確かめる必要もありません。
神の教えより道徳の方が伝えやすいし伝わりやすいのです。


私は道を知る者としては未熟です。
真に道に沿っている人は理屈抜きで道に沿えるからです。
私のようにガチガチに理屈を固めないと道に沿えないのは
どこまで行っても二流なのです。


そんな私が重視しているのが知識です。
智が有る人は道徳を理解している人のことで知識はさほど重視されていません。
それどころか知識があるからズルをしたり出し抜こうとする人が出てきて
社会を混乱させる要因となるので道の観点からすると知識を追い求め続けるのはあまり良くないとされています。


それでも私が知識を集めるのは無いより有った方が長生きできるからです。
長生きすればそれだけ世のため人のために活動できる時間も長くなるからです。
そのために知識を集めることは悪くないと思っています。


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神の声が聞こえるのは統合失調症と本質的に同じ

この記事はPL会員向けの記事です。


神の声を聞いている人達はそこで思考停止しているように思います。
声が聞こえている時に体の状態が医学的にどうなっているのか考えた事があるのだろうかと思います。
私自身の経験と知識から推測すると
それはポジティブな統合失調症であると言えます。


柔軟な考え方ができる人ならネガティブな統合失調症が有るなら
逆のポジティブな統合失調症も有ると考えられるはずです。
そして本質的には同じであるということです。


ポジティブな統合失調症は発酵食品みたいなものです。
腐敗した食品と発酵食品は人間にとって有用であるか無いかの違いだけで醸すという点において本質的には同じです。
ポジティブな統合失調症も本質的には普通の統合失調症と同じということです。


普通の統合失調症は頭の内外に関わらず
自分を責める言葉が延々と聞こえます。
それに対しポジティブな統合失調症は
持っている知識を整理して聞かせてくれます。


ポジティブな統合失調症が目立たないのは
その気になれば日常生活を問題無く送れるからです。
普通の統合失調症と違い治療の必要が無いのです。
そしてその多くが宗教家になります。
多種多様な宗教が存在している理由がこれです。


私が声を聞くのを止めたのは本質的に統合失調症と同じであることが引っかかったからです。
長い間統合失調症だと脳が萎縮してしまうのは医学的に知られています。
ポジティブな統合失調症も脳が萎縮するリスクが有ると考えました。
実際自分で考えようとすることが少なくなるので
ポジティブな統合失調症も恐らく脳が萎縮すると思います。
治療が必要では無いため研究している医者もいません。
リスクが有る以上聞かない方が良いと私の体は判断しました。


神の声が聞こえていることを否定したいわけではありません。
その声は紛れもなく神の声です。
ただ脳にかかる負荷が未知数なので控えた方が良いと考えただけです。
体の声と会話しなくても人間は気付くことができます。
その気付きで充分なのです。


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