とくみつのひきこもり相談ブログ

7年3ヶ月ひきこもり無職の後、働き始めました。
ひきこもり無職の間、怖い経験をしました。
このブログは自分と同じ目に遭ってほしくないという思いで立ち上げました。

「感情に走れば自己を失う」

この記事はPL会員向けの記事です。


感情に走るとは感情に流されるよりも強い感情で
その感情に突き進んでいる状態を指します。
怒りなら怒りに怒りを重ね周りが見えなくなるほど怒っている状態です。
感情に走ると視野が狭くなり落ち着いて対処すれば解決したはずの問題も解決しなくなってしまうのです。


私はこの処世訓を一時期勘違いしていた時期があり
感情をあまり表に出さないようにしていました。
その結果何を考えているか分からないと評されるようになりました。
感情をあまり出さないのも問題なのです。


面白いことは面白い、楽しいことは楽しいと
はっきり言えるようになることが大切なのです。


負の感情の代表である怒り、急ぎ、悲しみ、憂いは
表に出すと良い方向へ行くのが難しくなるのでなるべく出さないようにします。
ここで勘違いしてはいけないのが
その感情を全く出さないようにするのも良くないということです。


つらいことがあった時、悲しみ泣いても良いのです。
それを何年も引きずってしまうことが良くないのです。
引きずることが感情に走ることなのです。
悲しみや憂いを何年も引きずると未来が見えなくなり
自分の人生を失うことになるのです。


自分は周りが見えなくなるほど怒ることは無い、と思われる方が多いでしょうが
上に挙げた他にも感情に走ってしまうことは色々あります。
例えば宗教の布教です。


自分はこの教えによって救われた!
なんて素晴らしい教えなんだ!
なんとしてでもこの教えを広めたい!
この教えを信じれば絶対に幸せになれるよ!
なんで信じられないの!?
信じないと不幸になるよ!


これも布教したいという感情に走っているのです。
そしてここまで感情をむき出しにしていなくても
宗教家という人は多かれ少なかれこういう考えを持っています。
まずこの考えを改めない限り宗教は疎まれ続けるだけです。


宗教に頼らなくても幸せになれる考え方はある。
信教の自由という憲法にあるように宗教を信じない自由を尊重する。
この二つを理解した上で先を見据えなくてはならないのです。


感情に走ると自分が本来持っている良さや個性を失うことになるのです。


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