「自我無きところに汝がある」
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自分という人間は自分の意識、身体だけではありません。
家族、友人、知人といった周りの人達も自分を構成している要素なのです。
さらに人間だけではなく自分の身近にあるもの全てが自分を構成する要素なのです。
このことから自分の意識は自分を構成する一つの要素でしかないと気付かされます。
自分について自分の事を一番よく知っているのは自分なのだから
自己評価が一番正しいと考えるのは危険です。
他人からの評価もまた自分を構成する要素だからです。
自分の意識、自分の身体、他人から見た自分。
この三つを合わせたものが基本の自分なのです。
自己評価も他己評価もどちらも一つの判断基準であり、
それを受け止めた上でどちらの評価にも流されず
あるべき自分を追い求めていくのが大事なのです。
人間は高度な精神をもって尊厳が生まれています。
しかし自我無きところの自分に尊厳が無いわけではありません。
地球上において自然の摂理から外れる行動ができるのは人間だけです。
それを可能としているのは人間の意識は自然の摂理とは異なる存在だからです。
ですが人間の体はあくまで自然の摂理に則って存在しています。
自分の意識より自分の身体の方が自然の摂理を知っているのです。
私は兄の死と私自身が統合失調症になった事から
自分の身体を健康な状態にすることの重要性を教えられました。
どんなに財を成そうとも体を壊したら行動が制限され心が病みやすくなります。
「世のため人のため」の「人」には自分の体も含まれていることを忘れてはいけません。
世のため人のために行動した結果 自分の体を壊すようでは良い行動とは言えません。
体を壊さなければ世のため人のために行動できる時間が長くなるからです。
自分の力量を把握した上で世のため人のため自分のために行動できる人が幸せなのです。