「名に因って道がある」
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自分の名前は一生涯付き合っていくものです。
名付けられた瞬間から名前によって人生の進む方向が示されるようになります。
その道に沿うように生きると生きやすくなります。
逆にその道から外れるように生きると生き辛くなっていきます。
いわゆる名前負けが起きやすくなってしまうのです。
昨今キラキラネームと称される名前を持つ人達が増えてきました。
その多くは就職で苦労していると聞きます。
本人がどんなにまともであったとしても
そんな名前を付ける親とは関わりたくないと
採用担当が書類選考の段階で落としてしまうからです。
名に因って道が無くなってしまうという例です。
命名という言葉の通り子供に名前を付ける時は
その子の命が関わっていると考えなくてはなりません。
私はとくみつと名付けられました。
幼少のころ母からよく
「金田徳光さんと同じ名前なんだよ」
「教主さまが名付けてくださったんだよ」
と言い聞かされました。
当時は幼くその言葉の意味が分かってませんでした。
今ではその意味が少しずつ理解できるようになりましたが
どうしても分からないことが出てきました。
なぜ幽祖さまと同じ名前を付けたのだろうかと。
漢字は違いますが発音は同じです。
言霊的に一致している面があるのです。
二代さまがどんな想いを籠めて名付けてくださったのかは分かりません。
ただ幽祖さまと同じ名前を付けるには相当の信念があったのではないかと。
私の他にも二代さまから名前を授かった方は大勢いらっしゃいます。
その方達がそれぞれ自分の名前に沿って生きてらっしゃる、
または生を全うされたと考えると
二代さまの精神性の強さが感じられるようになりました。
PL処世訓を掲げられたように命名にも二代さまの信念があると。
二代さまの教えは生きているのです。