とくみつのひきこもり相談ブログ

7年3ヶ月ひきこもり無職の後、働き始めました。
ひきこもり無職の間、怖い経験をしました。
このブログは自分と同じ目に遭ってほしくないという思いで立ち上げました。

思考の檻

この記事はPL会員向けの記事です。


科学の知識は宗教の思考の檻の外に視点を置くことができます。
逆もまた同じです。
だから私は科学と宗教の両全の境に視点を置くことにしました。
しかしそれでも思考の檻の内側にいます。


PLでは神を信じない人を神を忘れた人と表現しています。
これは生まれた直後は自我が無く最も自然の摂理に沿った状態で
自我が形成されるに従って自然の摂理に沿わない物の見方や考え方ができることから来ています。


自我が形成された後に自然の摂理を理解するには
我執に囚われていては駄目だと言うことになります。
執着を捨てた状態の視点を持てないと気付くのは難しいのです。
自己に囚われないと同時に感性を極限まで高めてなんとか気付けるかどうかなのです。


PLの教えは役に立ちますがそれが唯一絶対に正しく
それが全てとしてしまうとそこで思考の檻に囚われます。
PLの教えが間違っているのではありません。
神を信じる事とは別のものがあるかもしれないと想像できるかどうかなのです。
信仰心を否定する意図もありません。


知識はジグソーパズルのようなものです。
気付けない人は持っている知識、ピースがバラバラの状態なのです。
感性を磨くことによって持っている知識をあるべき場所に置くことができます。
それぞれの知識のピースをあるべき場所に置ければ気付ける回路ができます。


科学の知識を集めている時にぶつかった壁がクオリアです。
クオリアを理解することは現代で気付ける人になるには一つの条件だと思っています。
色、匂い、味、音、触感のクオリアが有ります。
特定の動物が赤外線や磁力を感知できることから
赤外線と磁力のクオリアも在るということです。


赤外線や磁力を感知する、クオリアを認識することは人間には想像外にあるものです。
光の4原色も多くの人の想像外にあるものです。
想像外にあるものが在る、と知った時に思考の檻の格子に触れることができます。
クオリアの先に在るものまで想像力を働かせていただきたいです。


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